名門ヤンキースの一員となる田中将大。ノルマは「7年で100勝」 (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu photo by AFLO

 ピッチャーの移籍劇をピックアップするなら、1974年オフのキャットフィッシュ・ハンター、1977年オフのリッチ・ゴセージ、2000年オフのマイク・ムッシーナ、そして2008年オフのCC・サバシアの4人でしょう。アスレチックスのエースだったハンターは、オーナーのチャールズ・O・フィンリーと契約交渉で対立。調停委員会が仲裁に入ったことで史上初のフリーエージェントとなり、1974年の大晦日に5年総額375万ドル(約11億2500万円/当時)でヤンキースに移籍しました。当時としては破格の金額だったため、全米中が大騒ぎ。しかし、ハンターはプレッシャーに負けることなく、移籍1年目にリーグトップの23勝をマークし、その金額に相応しい結果を残しました。

 同じく1970年代、ヤンキースに移籍したのがリリーフエースのゴセージです。ピッツバーグ・パイレーツから6年総額360万ドルで引き抜かれ、移籍1年目にセーブ王を獲得してワールドシリーズ制覇にも貢献。のちに福岡ダイエーホークスでもプレイし、最終的にメジャー通算310セーブを記録した名リリリーフです。また、ムッシーナの6年総額8550万ドル(約95億7600万円/当時)と、サバシアの7年総額1億6100万ドル(約146億5100万円/当時)の大型移籍も衝撃的でした。オリオールズのエースだったムッシーナは、ヤンキース1年目に17勝をマークして地区4連覇に貢献。一方、クリーブランド・インディアンスのエースだったサバシアも、移籍1年目で19勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得し、ヤンキースを世界一に導きました。

 その他にも、2002年オフに巨人から3年総額2100万ドルで電撃移籍した松井秀喜選手や、2001年オフにアスレチックスから7年総額1億2000万ドルで契約したジェイソン・ジオンビーなど、印象に残る大型契約は数多くあります。上記の選手のうち、殿堂入りを果たしたのは4人(ジャクソン、ウィンフィールド、ハンター、ゴセージ)。田中投手はメジャーで1球も投げていないにもかかわらず、彼らと並ぶほどの大型移籍でヤンキースに入団したのです。彼らは移籍1年目から結果を残しているので、田中投手にもエース級の活躍が求められるでしょう。

「はたして、田中投手はメジャー1年目で何勝できるのか?」。日本では、その点ばかりがクローズアップされています。しかし、それよりも大事なのは、「トータルの数字」ではないでしょうか。もちろん、メジャー1年目は大事なシーズンですが、契約した7年間で最終的にいくつの勝ち星を挙げられるかが重要だと思います。ヤンキースというチームは、毎年優勝争いに絡まないといけません。それが「常勝軍団」に課せられた使命です。そのためにも、ヤンキースの先発を務める投手は、毎年コンスタントに15勝前後は残さないといけないでしょう。仮に1年目で20勝しても、2年目にひとケタ勝利では、ヤンキースでは高い評価を得られないのです。毎年15勝すれば、7年間で105勝。田中投手が目指すラインは、「7年間で100勝」だと思います。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る