イチローの22年。「次の1本への執念」は変わらない (2ページ目)

  • 小西慶三●文 text by Konishi Keizo
  • photo by Getty Images

【2009年9月7日@エンゼルスタジアム】

 エンゼルスタジアムの一塁ベンチ裏で、イチローの生スイングを目撃した。2009年9月7日、遠征先アナハイムでの休日に彼がひとりで体を動かしていた時のことだ。午前11時過ぎ、時間にして約50分。誰もいない外野を気持ちよさそうに走り、キャッチボール、室内ケージでのティー打撃へと移っていく。締めは素振りだ。静寂を切り裂くスイング音に圧倒され、ただ息をのんで見守った。

 イチローが右足を軽く上げ、柔らかくフロアに降ろす。試合が行なわれない日のスタジアムは静かで、それこそ小さな縫い針が落ちる音でも感知できそうだ。しかしそんな静けさでも目前の、右足の着地音は全然聞こえてこない。そしてピリッと鋭く空気を切る音だけが耳に刺さる。彼が突然小さくうなずき、素振りは終わった。

 時間にして2、3分だっただろうか。あの光景は先述の「打てば打つほど、分かってくればくるほどバッティングは難しくなる」の言葉と同じくらい、筆者にとって強いインパクトがあった。

 この前日、イチローはオークランド・コロシアムでのアスレチックス戦のデーゲームでメジャー通算2000本安打を達成していた。通算1402試合目での到達は20世紀以降で2番目の速さだ。メジャーデビュー年の4月、日本からやってきた右翼手にコインやアイスキャンデーを投げつけた敵地外野席のファンが温かい拍手で快挙を称えていた。「ここのファンが祝福してくれたのはちょっと感慨深いものがありますね」と会見で彼は和やかに話したが、余韻に浸ったのはきっと試合後の数分だけだったのだろう。

 イチローの体内に宿る「感覚」は他人にはうかがい知れない。だが彼はその非常に繊細で、丹念に世話しなければ死んでしまう「感覚」といつも真正面から向き合い、対話をしている。「感覚」は他人からの褒め言葉や自己記録、名声や高額報酬などを餌にしないかわり、ただその日、その日で身勝手に違う量、違う種類の餌を気ままに欲する。2000安打達成の翌日の素振りは、まさにその対話の瞬間だったと思う。

 イチローにとっての継続とは何か。集中するとはどのような状態を指すのか。そして自分の感覚に正直でいるとはどういう意味か。彼が何より大切にする準備の要点が2000本達成の翌日の単独練習に凝縮されていると感じた。

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