番記者が聞いた22年分のイチローイズム (2ページ目)

  • 小西慶三●文 text by Konishi Keizo
  • photo by Getty Images

 【1992年7月12日@平和台球場】

 これはただ者ではない。プロ1本目を打たれたピッチャーの直感が始まりだった。「ベンチに戻ってきて「あいつ高校を出たばっかりやで」と聞かされて、「ああ、すごいなあと普通に思いましたよ」と木村恵二(元ダイエー、西武投手)は振り返る。

「スライダーだったかな。ランナーはいなかったんじゃないかな」

 ライト前にきれいに持っていかれた。鈴木一朗のスイングは明らかに普通の高卒ルーキーと違っていた。

「普通、高校を出たばかりのバッターに真っ直ぐを投げたら、ボールに負けるんです。変化球にもついて来れない。僕、プロに入る前に社会人(日本生命)でやっているでしょ。社会人野球でも同じなんですが、高校から入ったばかりのバッターはまだ全然レベルが違っているんです。それが彼の場合はバットコントロール、スイング(のキレ)といろんなものがもうプロのレベルにあった。違和感はなかったですね」

 その夜、鈴木一朗は屋台で1杯300円のラーメンを堪能しつつ、"計画"が予定通りにいかないことを嘆いていた。

「1週間で二軍に戻してくれたら最高なんだけどな」

 高卒の外野手がプロ1年目のオールスター前に一軍昇格を果たして、まして初ヒットを記録するのはそうあることではない。だがそこで、当初の"計画"を貫こうとしたことが普通ではなかった。

「もうちょっと時間をかけて自分の形を作りたい。3年目まではそういうつもりだったんです。4年後に同い年の大卒が入ってくる。そいつらの一番よりも僕は絶対上手くなきゃいけないし、給料も絶対高くなきゃいけないって思っていた。だから1年目(の一軍昇格)は早過ぎるんですよ」

 プロ初安打――めでたいはずの節目でひとり冷徹に長期戦略を考えていた。プロ1本目を喫したピッチャーの「ただ者ではない」との直感は当たっていた。

「日本では大卒、社会人出身は即戦力でなきゃいけないみたいなところがある。だから一刻も早く(一軍で)というのは分かります。まあ、二軍にいる時間が短ければ短い方がいいというのは当たり前ですが、高校出はそうとも言い切れないですよ。やっぱり何かを蓄える時間って必要ではないですかね」

 イチローは、プロ1本目を打つ前から、より多くのヒットを打つことに執着していた。そんな1本目の舞台裏を筆者が知ったのは、それから10年以上も経ってからだった。

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