最下位から世界一へ。上原浩治はチームに何をもたらしたのか

  • カルロス山崎●文 text by Carlos Yamazaki
  • photo by Getty Images

 今でこそ、リーグを代表するクローザーと称されるようになり、リーグMVPやサイ・ヤング賞の票を集めるだろうと囁かれている上原だが、およそ7カ月前の今季初登板が"6回の男"だったことは、にわかに信じがたい話だ。

 現地時間4月1日、敵地でのヤンキース戦。先発のジョン・ラッキーが5回2失点で降板すると、上原は6回から2番手として救援。1回をわずか5球で三者凡退に打ち取った。次の登板は敵地でのブルージェイズ戦。これも6回からの2番手で、9球で三者凡退。3度目の登板も、やはり6回からの『中継ぎ投手』だった。

 レッドソックスはパイレーツから獲得したジョエル・ハンラハンをクローザーに、8回のセットアッパーには元アスレチックスの守護神、アンドリュー・ベイリーを据え、上原と田澤純一は彼らにつなぐ中継ぎとしての期待が寄せられた。ところがハンラハンとベイリーが故障で離脱。4月下旬から、8回を投げるセットアッパーを任されていた上原だったが、デトロイト遠征中の6月21日、ついにクローザーに指名されると、その座を誰にも譲ることはなかった。

 上原がレッドソックスにもたらした影響はピッチングだけではない。キャンプが始まったばかりの2月中旬、「チームはすごく静かだった」と感じた。前年、バレンタイン前監督と複数の選手が衝突し、雰囲気が悪いままオフに突入した影響も残っていたのかもしれない。だが、「楽しく野球がしたい」という上原は積極的にコミュニケーションをとってみようと考え、行動に移した。

「自分が馬鹿なことをして、周りが楽しくなるんやったらいいやと思いました。もちろん、今も積極的に声をかけたりしていますよ」

 一応通訳はいるが、取材の時以外は頼っていない。ボディランゲージを交え、目一杯の表現をする上原の周りに選手たちが集まるようになり、ファレル監督やニエベス投手コーチには、英語で関西弁のようにジョークを飛ばしまくった。

 4月から6月にかけてのセットアッパー時代に行なっていた、ダグアウト内での激しいハイファイブは、チームメイトの心を掴んだだけでなく、ボストンでは大きな社会現象にもなった。

「あそこまで(テレビなどで)取り上げてもらって、それは(チームにとっても)大きいですよね」と上原。9月には『Hi Five City』という上原主演のチームビデオが製作され、10月に入って公開されると大きな話題になった。

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