7・28松井秀喜引退セレモニー。「1日契約」というメジャーの伝統 (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO

 また、粋な計らいと言えば、こんな例もあります。2005年、シカゴ・カブスでデビューしたアダム・グリーンバーグという選手は、メジャーデビュー戦の第1打席で頭部にデッドボールを受け、そのまま退場するという悲劇に見舞われました。その結果、グリーンバーグは視覚障害の後遺症に悩まされ、メジャーの舞台から遠ざかることに。マイナーや独立リーグでプレイを続けるも、メジャーに復帰することはできず、2011年にユニフォームを脱ぐこととなりました。しかし2012年9月、グリーンバーグに死球を与えたフロリダ(現マイアミ)・マーリンズが1日契約を申し出て、再びメジャーの舞台に立つ機会を作ったのです。そして10月2日のニューヨーク・メッツ戦、グリーンバーグは7年ぶりにメジャーの打席に立ち、長年の夢を実現させました。そんな素敵な演出にも、1日契約は使われているのです。

 個人的に印象に残っているのは、ジェフ・コナインとノマー・ガルシアパーラの1日契約です。1993年、MLBの球団拡張政策によってフロリダ・マーリンズがナ・リーグに加盟した際、オリジナルメンバーのひとりとしてチームを牽引したのがコナインでした。記念すべきマーリンズの開幕戦で、コナインはいきなり4打数4安打の大活躍。その後も主力選手として打棒を振るい、1997年に当時メジャー最速となる球団創設5年目で世界一になったときや、2003年に2度目のワールドシリーズ制覇を成し遂げたときも貢献し、地元ファンから「ミスター・マーリンズ」と呼ばれるほど根強い人気を誇っていました。その後、コナインは他球団を転々として、2007年に41歳で現役を引退。すると翌2008年3月、古巣のマーリンズが1日契約を申し出て、コナインはシーズン開幕戦の始球式を務め、ファンからスタンディングオベーションで迎えられました。

 一方、ノマー・ガルシアパーラは1990年代後半から2000年代前半にかけて、ボストン・レッドソックスの看板選手として活躍したスタープレイヤーです。1996年にメジャーデビューし、1997年には満票で新人王を受賞。さらに1999年、2000年と2年連続して首位打者に輝きました。しかし2004年7月31日、トレード期限ぎりぎりにシカゴ・カブスへ電撃トレードされることになったのです。これには、地元ファンもショックを隠し切れませんでした。

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