【MLB】すれ違いの6年。理解されることのなかった松坂大輔の「美意識」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • ロイター/アフロ●写真 photo by REUTERS/AFLO

 まだメジャー2年目だった松坂がアメリカの流儀を完全には理解できていなかった、というのがひとつ目の理由だ。日本で投げていたときにも肩が張るというのは よくあることで、念のための交代の後、様子を見て大丈夫ならば次の登板には何の支障もない、という展開になるのが普通だった。まして松坂ほどの実績があれば、日本ではある程度の裁量は松坂に委ねられており、だから彼はこのとき、肩が張ると言ったのだ。しかし、アメリカではそうはならなかった。レッドソックスはこの訴えを、松坂の予想以上に重く受け止めてしまったのである。実際にこの直後、レッドソックスは、大丈夫だと懸命に説明する松坂をチームから離脱させ、わざわざ民間機でボストンまで送り返してMRIの検査を受けさせた。そして異常なしという診断が下ったのにもかかわらず、故障者リスト(DL)に入れて、10日間もの投球禁止を言い渡した。順調に来ていた2年目のシーズン、10日もボールを投げられなければ、せっかく「締まってきた肩」(松坂)が緩んでしまう。大金を費やして獲得した松坂を大事に考えたからこそ、慎重を期したレッドソックスではあったのだが、松坂の言葉に耳を傾け、彼の言葉を信頼し、その真意を見抜くところまで求めるというのは、この国の価値観の中では難しかったのかもしれない。

 そしてもうひとつ、松坂が肩と言ったのは、ケーシーをかばったからだった。それがふたつ目の理由だ。

 ジャンプして腰から落下したことが違和感の理由だと言えば、イージーなファーストゴロでピッチャーに悪送球をしたケーシーの守備が問われてしまう。マイナーから上がってきたばかりのケーシーのことを思い、つい、腰ではなく肩、と言ってしまった。それは日本の感覚で、肩の張りはたいしたことがないと言えば済むと思っていたからだ。それが、思いもしない方向へ転がり、いつしか大事になってしまう。

 アメリカでは、他人をかばって本当のことを言わない、などという価値観は存在しない。しかし、日本にはそういう美意識がある。とりわけ、松坂という男には “侠気(おとこぎ)”が備わっている。他人をかばって自分が損をするようなことがあっても、背負えば済むだけの話で、もっと言えば、それを跳ね返せるだけの自信もある。だから、損な役回りをさせられてもたいがいのことは呑み込み、そこから元の場所へ戻る道を人知れず探し、何事もなかったかのように笑っている。それが松坂という男で、彼が大丈夫だと言えば、その言葉を信じることが松坂からもっとも力を引き出す最善の方策なのだ。そうすることで松坂は元の場所どころか、さらなる高みに登っていく。

 そうした関係を、松坂とレッドソックスは築けなかった。無理もないと思う。日本とアメリカには価値観の違いがあり、やせ我慢をすることをよしとする発想がアメリカにはない。どちらがいい、悪いではなく、お互い、そこのところに気づけなかったことがいくつものすれ違いを生んでしまう。

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