聖光学院を「福島の王者」へと押し上げた2つの大敗。初甲子園の惨敗に指揮官は「誰か俺を大阪の海に沈めてくれ」 (3ページ目)

  • 田口元義●文・写真 text & photo by Taguchi Genki

 屈辱を清算した監督が決意を固める。

「甲子園は行って満足するところじゃねぇ。勝ちに行くところだ」

 監督となってまだ2年足らずだった当時を、斎藤は「メンタルだけの野球」と評している。その聖光学院に技術や戦術が加わり、野球が劇的に変化を遂げることとなる契機が、02年夏の水戸短大付属との練習試合だった。

 バントや走塁を駆使した緻密な野球。なかでも斎藤に衝撃を与えたのは、「ロケット」と呼ばれるランナーのスタート技術だ。

 ランナー三塁で内野ゴロになれば、待っていましたとばかりにホームへ突入される。それどころか、牽制球でも同じようにあしらわれる。観察眼や細かなサインプレーに裏打ちされた戦略によって聖光学院は手も足も出せず、20点以上もの大差をつけられた。

「『なんじゃこりゃ!』って。うちの守備力がなかったっていうのもあるんだけど、ランナー出されたら全部セーフぐらいだったかんね。甲子園でボロ負けしてからいろんなところに武者修行に出かけたんだけど、水戸短大付属の試合が一番勉強になった」

 これが、野球における聖光学院の原点となった。練習の大半を守備、走塁に特化するようになる。そして、練習後のミーティングでは、まるで監督の自分にも言い聞かせるように、選手たちをあえてこき下ろす。

「福島を代表して甲子園に行くっていうことは、どれだけ大きなことか。200万人の県民に勝利っちゅう吉報を届けるくらいの覚悟がないんなら、県大会で優勝したとしても行く資格なんてねぇし、俺が絶対に行かせねぇ!」

 勝利への貪欲。ワンプレーへの執着心。それらは時に悲壮感をはらむほど研ぎ澄まされる。すべては成り上がるため。戻るべきステージに立ち、喝采を浴びるためである。

現チームの合言葉は「歴史を変える」

 下剋上──これが聖光学院の象徴するメンタリティーとなった。2004年夏に3年ぶりに甲子園に出場し、初勝利を含む2勝を挙げた。翌05年にも1勝。0対20の惨劇からの再生を果たした。

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