糖尿病で「もう野球できへんのかな」からプロ野球選手へ。元阪神・岩田稔が野球への覚悟を問われた「大阪桐蔭・西谷監督の怒号」 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Koike Yoshihiro

「ガリクソンの本を読んで『俺もできるわ』という思いにさせてもらいました。世の中には1型糖尿病患者の子もいるけど、主治医から『阪神の岩田ってヤツがプロ野球で活躍しているように、自分も何でもできると思わせるような存在にならないといけない』と言われました」

 岩田は37歳まで現役生活を続け、200試合で60勝82敗、防御率3.38という成績を残して昨季限りでユニフォームを脱いだ。2009年には日本代表としてワールド・ベースボール・クラシックに出場、2014年には日本シリーズの舞台にも立っている。2013年には糖尿病患者に対する慈善活動が評価され、若林忠志賞という栄誉にも輝いた。

「タイガースに入った時に『1型糖尿病の希望の星になりたい』と言って、その言葉に負けないようにやってきました。現役の16年間で、ちょっとはそれを証明できたと思います。1型糖尿病は、何かをあきらめる理由にはならない。いろんなスポーツをできるし、自分のやりたいことをやったほうが人生も楽しいじゃないですか。そのことをこれからも伝えていきたいですね」

 岩田はプロ入り直後、血糖値をコントロールするインスリン注射を人目に隠れて打っていたが、あえて人前で行なうように変えた。自分を包み隠さず表すことで、世の中の認知度も高まっていくからだ。

「自分が闘病中だと言えない人も中にはいます。そういう人たちが、普通に暮らせる世の中にしていきたい」

 高校2年の夏、西谷監督に野球への覚悟を問われ、自分の目指すものを再確認した。そうして人一倍の努力を続け、1型糖尿病にも負けずに夢の世界にたどり着くことができた。

 だからこそ同じ病気に苦しむ人たちに、自身の体験を伝えていきたいと岩田は思っている。

おわり

一部敬称略

プロフィール
岩田稔(いわた・みのる)/1983年10月31日、大阪府生まれ。大阪桐蔭高から関西大を経て大学・社会人ドラフトの希望枠で2006年に阪神に入団。3年目の2008年に10勝を挙げ先発ローテーションに定着。巧みな投球術で打者を翻弄し、2009年にはWBC日本代表メンバーに選ばれ、世界一に輝いた。

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