糖尿病で「もう野球できへんのかな」からプロ野球選手へ。元阪神・岩田稔が野球への覚悟を問われた「大阪桐蔭・西谷監督の怒号」

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Koike Yoshihiro

岩田稔インタビュー(後編)

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「命がけでやっているのか!」

 元阪神の岩田稔が大阪桐蔭時代に西谷浩一監督からそう怒鳴りつけられたのは、2年夏の大阪大会を控えた練習試合のマウンドだった。

「自分としては必死にやっていたけど、それが結果として出ていなくて。フォアボールを連発してやられるとか、エースとして不甲斐ない投球内容に西谷先生がものすごい剣幕でマウンドに来られて......」

 お、マジか──。約20年前の当時、監督が叱咤するのは決してあり得ない行為ではなかったが、岩田は驚きを隠せなかった。少し経って正気に戻ると、指揮官の言葉が響いてきた。

「そんな言葉は普通出てこないですよ。西谷先生は命がけで僕らに野球を教えてくれていたということですね。『もっとちゃんとせな』っていうのはやっぱり感じました」

 岩田は大阪桐蔭で過ごした時代について、「とにかくしんどい3年間だった」と振り返る。今や高校球界の押しも押されもせぬ盟主だが、当時はまだ黎明期だった。岩田や中村剛也(西武)、西岡剛(福岡北九州フェニックス)ら、のちにプロで高く羽ばたく選手たちが黙々と腕を磨いていた。

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まさかの闘病生活

 マウンド上で野球への覚悟を問われた半年後、岩田は人生の岐路に立たされた。1型糖尿病を発症したのだ。甲子園を目指していた左腕投手は突如、入院して闘病生活を強いられることになった。

 岩田が仲間の輪を外れて3年春を迎える頃、チームはセンバツ出場の当落線上にいた。命運は神のみぞ知るが、晴れ舞台に備えてしっかり練習しておかなければならない。

 チーム練習が終わった夜9時か10時頃、ユニフォーム姿の西谷監督が連日見舞いにやってきた。差し入れはダンベルやボール、チューブ......。

「ちゃんとやっておけよ」

 エースにそう言葉をかけ、指揮官は帰っていった。看護師たちにケーキを差し入れ、時間外でも病院に入れるようにしてもらうような気遣いの人だった。

「西谷先生は教師もやりながら監督もして、スカウトにも行って、いつ寝てるんだろうと......(笑)。僕らが高校生の時は、勉強ができるクラスの社会科の授業も行なっていましたからね。本当に野球が好きで、人を育てるのが得意な方ですね」

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