ドラフト候補の絶対的エースに「苛立ちを表情に出すなよ!」。センバツ以降、勝てない大島高校ナインに起きた意識改革

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

【短期連載】離島から甲子園出場を叶えた大島高校のキセキ 第2回

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今年春のセンバツで初戦敗退を喫した大島高校ナイン今年春のセンバツで初戦敗退を喫した大島高校ナインこの記事に関連する写真を見る

無情のセンバツ初戦敗退

 3月23日、明秀学園日立(茨城)とのセンバツ初戦。大島高校は塗木哲哉監督の指揮のもと、当日の朝までポジショニングの確認をしていた。

 大島には「初めての場所に弱い」という弱点があった。

 奄美大島という離島の高校ゆえ、島外に出る機会は限られる。幼少時からよく知る者同士で人間関係は濃い反面、内弁慶な気質がある。島外の遠征に出ると、まずその場所に慣れるのに時間がかかってしまうのだ。植直之副部長は言う。

「この子たちは『マーキング』しないと力が出せないところがあります。去年の秋の九州大会を勝てたのも、鹿児島大会で(試合会場の)鴨池に慣れていたのが大きかったんです」

 2014年春に21世紀枠で初めて甲子園に出ているとはいえ、当時を知る関係者は選手として甲子園の土を踏んだ泊慶悟コーチくらい。塗木監督は「鹿児島には甲子園のようなすり鉢状の球場はない」と、警戒感を深めた。「甲子園ベスト8」を目標に掲げ、文句ない実績を残してコマを進めた二度目の甲子園。独特な風や景色について情報を集め、入念に準備をしていた。

 だが、結果は非情だった。フライの打球判断など、外野陣にミスが続出。序盤の大量失点へとつながり、試合の趨勢は決した。試合後、塗木監督はこんなコメントを残した。

「今朝までどう守るか研究し、模索してきましたが、どうしても『慣れなかった』という結果になってしまいました。甲子園球場の特性を知識として知っていただけで、体感できていなかった。普段なら捕れていた打球でも、独特の球場の雰囲気、景色のなかで捕り損ねてしまいました」

 コロナ禍の影響で出場校に割り当てられる甲子園練習がなく、初めての場所に慣れる時間が短かったという逆風もあった。だが、相手も同じ条件下での戦いであり、言い訳にはならなかった。

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