「今日先発するのは間違いだった」。近江・山田陽翔の孤軍奮闘から何を学ぶべきか。対照的だった浦和学院との起用法 (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 山田の奮闘に仲間が応え、11回裏に女房役の捕手・大橋大翔が「人生初の柵越え」というサヨナラ3ラン。多賀監督が語った、高校野球らしい誰もが感動するすばらしい試合だったのは間違いない。

 だが、問題なのは山田の状態だ。死球を受けた時、多賀監督は「なんで山田が」と思ったという。そして「代えるべきかな......」とも。

「将来がある子ですから、無理をさすわけにはいかない。(マウンドを)降ろせるのは僕しかいない。僕が決断せなアカンのです」

 そうは思いながらも、山田を降板させることはできなかった。

「今日は山田で最後までいくと臨んでいた。救いは、初戦に165球投げたあとも『疲労度は夏とは違う。全然大丈夫です』と本人が言ってきてくれたこと。そこにウソはなかったと思います」

 ヒジの負担を軽くするため、オフの間、山田はフォーム修正に励んだ。その効果と本人の言葉を理由に、続投を決断した。そして結果的に準決勝には勝った。

自らの意思で降板

 だが、その時点で決勝の勝敗は決まっていたと言っていい。なぜなら、最後に戦うのが、準決勝までチーム打率.402、7本塁打の大阪桐蔭だったからだ。山田の体の状態、疲労を考えると、大阪桐蔭に投げさせるのは酷すぎた。

 それは、多賀監督もわかっていたはず。指揮官の心中は、オーダーを見ればわかる。これまでは「4番・投手」で出場していた山田を「9番・投手」として起用。この時点で"ファイティングポーズ"すら、まともにとることができなかったわけだ。

 事実、決勝のマウンドに立った山田の姿は痛々しいものだった。普段は常時140キロ台(最速148キロ)のストレートは最速135キロで、しかも1球だけ。3回裏、3番の松尾汐恩に打たれた本塁打は123キロ。いつもの山田のイメージから変化球かと思ったが、山田本人は「真っすぐです」と言った。

 そしてその直後、自らベンチに合図を出してマウンドを降りた。本来は4番を打つはずの打者が、守備位置に就くことなくベンチに下がったことも、状態の悪さを露呈していた。試合も1対18で近江は大敗を喫した。

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