「監督なんてやるつもりはなかった」。センバツを最後に勇退する東洋大姫路・藤田監督の人望に敵将も感動 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文・写真 text & photo by Tanigami Shiro

「私なりに勉強して、人を呼んでバッティングの指導もしてもらったんですけど、なかなかうまくいかない。自分には教える力がないのかとか、原の時の県大会決勝で運を使い果たしてしまったのかとか、定年を待たずに身を引くことも考えました。でも最後は、負けたまま終わるのはしゃくだし、なによりこんな状態で次に渡したら申し訳ないという気持ちになって、やろうとなったんです」

チーム一丸でたぐり寄せた甲子園

 それからは「いい形で次に渡せるように」と、辛抱強くチームづくりを続けた。すると、定年が近づくなか、風向きが変わった。学校長の交代があり、現在の大森茂樹校長は「学校経営には、その学校の特徴を最大限に生かすことが大事」との考えを持ち、長く東洋大姫路の看板でもあった野球部の強化を約束してくれた。機運が高まるタイミングで入学してきたのが、現在の新3年生たちである。

 それでも、昨年秋のベンチメンバー20人中12人が身長170センチ以下で、15人が体重60キロ台。県大会、近畿大会の9試合を戦い、チーム打率.294、本塁打0本。スコアも1対0、2対0、3対2......数少ない得点をエースの森健人を中心に守り抜き、兵庫3位、近畿ベスト8とギリギリのところで踏ん張り、センバツ切符を手にした。

 この結果について、藤田はこのように語る。

「普段なら打つはずのない選手が打ったり、スーパーキャッチが飛び出したり、力以上のものが出たと思います。このチームには強い運を持っている子が何人かいるので、彼らの運とファンの人の思いが後押ししてくれたんでしょうね」

 選手たちのなかで「監督を甲子園に」は合言葉になっていたが、それにしてもこんなドラマ顔負けのストーリーが待っていたとは......チームの戦いからは積み上げてきた実直な思いが伝わってきた。

「選手たちに慕われているんでしょうね?」と向けると、「いやいや、そんなことは。この時代でもうるさくやってますから」と照れたが、グラウンドでの指揮官の姿を選手たちはしっかり見ていたはずだ。

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