日本一経験の名将は日大三島で指導方針を転換。報徳学園時代の方法では「時代にそぐわない部分もある」 (3ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 その翌週の練習試合も連敗し、結局6連敗のまま東海大会を迎えた。だか、そこから3連勝して東海王者に。勝因はどこにあったのか。

「1年生はやれる範囲のことをしっかりやってくれましたが、2年生が予想以上に頑張ってくれました。2年生は、私が就任する前から在学していた子たちで、突然私がきて、戸惑いもあったと思うのですが......」

 準決勝の大垣日大(岐阜)戦では初回に先制されながらも直後に追いつき、中盤以降一気に突き放した。翌日の聖隷クリストファー(静岡)との決勝でも、序盤に2点を先制される苦しい立ち上がりだったが、4回に5点を奪い逆転。以降は相手に主導権を渡さない盤石の戦いを見せた。

「この子らが平常心になって、どれだけ気持ちよく戦えるか。その準備をするのが監督の仕事ですから」

 昨年秋の東海大会では、岡崎市民球場に教え子の保護者だけでなく、報徳時代の教え子などが大集合した。なかには、プロに進んだ教え子の父も観戦に訪れてくれたという。

「センバツ切符がかかった準決勝は、おそらく30〜40人はいたのではないですかね。帰りに持ちきれないほどのおみやげをもらいました。すごくうれしかったです」

 新天地で迎える"里帰り"の戦いは、無垢な気持ちで挑むつもりだ。

「力があるチームではないので、一生懸命やってくれたいいです。春の先にはもちろん夏がありますが、焦ってはいません。とにかく今はじっくりやっていきたいです」

 雲がかかった富士山の方向を見つめ、名将はまた笑った。

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