上野由岐子が明かす長かったネガティブ時代。「やめたい。投げたくない。何で練習するの?」 (2ページ目)

  • Text by Sportiva

――好きだから投げる、という感覚が変わったのはいつ頃ですか?

「北京五輪で金メダルを獲ってからです。当時は五輪で優勝することだけを考えて練習をしていたようなものですから、達成感がありすぎて次の一歩を踏み出すのに苦労しました。ものすごい喪失感がありましたね。

 心の中で『もうソフトボールをやめたい。投げたくない。今は何のために練習しているの?』と思うようになって。さらに、今まで歯を食いしばって練習してきたのに、その頃には練習をしなくても結果が出てしまうような状態になっていたので、それにまた腹が立ってくるんですよ」

当時を振り返る上野 photo by Sportiva当時を振り返る上野 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る――なかなか理解するのが難しい感覚ですね......。

「私は本来、そういう考え方をするのが嫌なので、『なぜそういう態度を取っちゃうんだろう?』となり、負のスパイラルに陥りました。当時はネガティブで負のオーラが出ているのが、自分でわかるくらいでしたよ(笑)」

――ネガティブな期間がすごく長かったんですね。

「そうですね。ポジティブになっていったのは4、5年前くらいだと思います。いつ立ち直ったのか、具体的なきっかけなどはわかりません(笑)。あ、でも、2014年に左膝をケガしたことは大きな転換期だったかもしれませんね。その頃は膝の状態がかなりひどく、朝に起き上がるだけで痛くて階段も登れず、ネガティブも深刻化して本気で引退を考えるようになりました。

 そんな時、2015年にルネサスエレクトロニクス高崎がチームをビッグカメラへと移管することになり、新しい環境で『自分も頑張らないといけないな』という気持ちになって。当時、同じチームにいた宇津木麗華監督や、仲間たちが『やめなくていい』と言ってくれたことも支えになり、リハビリとトレーニングをやるようになったんです。

 そうして再び、痛みがない状態で投げることができるようになっていって、喜びや楽しさを感じることができた。それが、性格をポジティブにしていく点でもすごく大きかったように思います」

――大ケガを負ったことがネガティブを脱するきっかけになり、上野さんをさらに強く成長させたということになりますね。

「結果的にはそうなりますね。それ以外でも、どこかケガをしてチームを離れた時には『戻った時に前よりも成長した姿を見せる』ということを意識しています。戦線離脱している間は迷惑をかけますから、しっかり進化した、いいパフォーマンスができる状態で復帰することを大事にしているんです」

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