「外してください」主将が決勝戦の欠場を直訴。1991年大阪桐蔭の初出場初優勝は革命的だった (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

 2回に1点を返され、3回にも和田は相手打線につかまった。打たれるたびに『ハイサイおじさん』の軽妙なリズムと沖縄特有の指笛が風に乗り、グラウンドに響き渡る。「沖水(おきすい)」の愛称で甲子園でもお馴染みのチームが奏でる音色に、和田の笑顔が薄れていく。

「沖水の応援がとにかくすごくて。2年連続で決勝まで来たこともあって、すごい盛り上がりで。完全アウェーです。あの指笛の音で集中できなくなって......ボールが真ん中に集まってしまいました」

 この回、5連打を含む6安打を浴び5失点と一気に形勢を逆転された。それでも心は折れなかった。

「俺が10点取られても、それ以上打ってくれる。ベンチには背尾(伊洋)もおるし」

 エースの想いが届く。逆転された直後の3回裏、大阪桐蔭は二死ながら一、二塁のチャンスをつくる。甲子園で初めて5番に座り、1打席目にレフト前安打を放っている澤村通は、秋田戦でのサイクル安打が象徴するように、準決勝まで打率5割と完全復調を遂げていた。信頼されての5番抜擢。澤村はそのことを理解しながらも、少しだけ悔しかった。

「3番の(井上)大と4番のハギ(萩原)が警戒されるから、チャンスで回ってくることが多いやろうと思ったけど、ふたりの打順だけは1年間不動でね。そこに対する嫉妬もあったんですよ。『エリートに負けるんか......クソ!』って燃えた部分もありました」

 追撃の絶好機。澤村が大野の外角のボールを左中間に弾き返すタイムリー二塁打で、2点を返した。そして、4対7で迎えた5回、澤村は再び快音を奏でる。

 一死満塁、4球目の真ん中に甘く入ったストレートを強振すると、打球はセンター頭上を越えた。ランナーを一掃する二塁打。試合を振り出しに戻すと後続もつながり、大阪桐蔭はこの回6得点と一気にひっくり返した。

 続く6回にも、澤村は二死二塁から大野の変化球をすくうと、打球はライトへ上がり、相手守備がフェンスに衝突する間に三塁を陥れた。

「捕られるかもと思って、最初ゆっくり走ったけど、全力疾走してたらランニングホームランやったかも」

 もしそうなっていれば、史上初の「1大会2度目のサイクル安打」達成だった。

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る