「外してください」主将が決勝戦の欠場を直訴。1991年大阪桐蔭の初出場初優勝は革命的だった (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

「僕が出る、出ぇへん関係なしに『優勝させなあかん』って。なにを差し置いてでも優勝しなければ、『俺らは一人前やと認めてもらえない』って思っていましたからね、ほんまに」

 部長の森岡から「キャプテンとしての役割を果たせ。監督にも相談したうえで決めろ」と説得され、長澤にも「外してください」と願い出るが、答えは同じだった。

「キャプテンがなに言うとんや。考え込まず、気楽に打てばいいんや」

 この時、監督の長澤は、準々決勝と準決勝で5番だった玉山を、決勝では1番で起用すると決めた。

「玉山のような男を外したり、打順を下げたりすると、チームに悪影響を及ぼすと思いましたんでね。気持ちで打っていく男で、それが持ち味でしたから」

 指揮官の思惑は、見事に的中した。

 8月21日の決勝戦。甲子園球場に詰めかけた5万5000人の大観衆の前で、いきなり玉山がチームに勢いをつける。

 1回裏、沖縄水産のエース・大野倫のボールを強く叩きつけると、打球は高くバウンドしてサードの頭上を越え、レフト線へと転がる二塁打となった。主将の意地だった。

「最後は気力だけでしたよ。あの打席は『思いっきり振ったろ!』と思うて打てたけど、あの打席以降は力が入らなかった」

 玉山の一打から二死三塁とチャンスを広げ、この大会でさらに株を上げた4番の萩原誠が打席に入る。

「チームワークが大切なんやなって、つくづく思いますね。やんちゃな選手ばっかりやったけど、試合ではそれぞれが役割分担をして、誰かの調子が悪ければほかの誰かがカバーする。そういうことが自然とできていたのって『すごいことやったんやな』って思います」

 萩原が大野の外角ストレートを逆らわずに流す。打球は青空を切り裂くようにライト上空に舞い上がり、ラッキーゾーンへと吸い込まれた。

 2対0。萩原の大会3本目の一発が、直後に訪れる乱打戦の号砲となった。

 援護をもらったが、先発のエース・和田友貴彦はマウンドでイライラしていた。森岡から「おまえはすぐ顔に出るから、いつも笑っとけ」と釘を刺され笑顔こそつくっているが、心中は落ち着かない。

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