甲子園史に残る新旧「スーパー1年生コンビ」対決。快進撃の早実を横浜が迎え撃った

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

 横浜と広島新庄との1回戦。9回裏、広島新庄のマウンドには3番手のサウスポー・秋山恭平がいた。0-2とリードされて迎えた横浜の最後の攻撃は、ツーアウト一、三塁。打席には名門の背番号6を背負う一番打者・緒方漣が立っていた。

 秋山が投じたストレートを力いっぱいに振り抜いた打球は、レフトに高く舞い上がった。「いってくれ!」と念じた緒方の思いを乗せて、レフトスタンドへ――史上初となる1年生によるサヨナラホームランで、横浜が劇的な勝利をつかんだ。

 9回表から登板した横浜の杉山遥希は、ピンチを招きながらも最少失点で切り抜けて勝利投手になった。背番号1の杉山もまた、1年生。村田浩明監督が「これほど苦しい試合になるとは思わなかった」と語ったほど敗色濃厚の試合を救ったのは、3月まで中学生だったふたりだった。

 甲子園でスーパー1年生として騒がれる選手は何年かおきに出現しても、1年生エースと内野手の組み合わせは少ない。しかし1980年代前半には、1年生コンビが次々と現れて高校野球の歴史を変えた。

1980年夏の甲子園で、開会式リハーサルを行なう横浜の愛甲(左)と早実の荒木(右)1980年夏の甲子園で、開会式リハーサルを行なう横浜の愛甲(左)と早実の荒木(右)この記事に関連する写真を見る 1980年夏に準優勝した早稲田実業のエース・荒木大輔とセカンドの小沢章一、1983年夏に全国制覇を果たしたPL学園の桑田真澄と4番の清原和博。全国優勝経験のある名門と強豪は、1年生コンビが起爆剤となり決勝戦まで駆け上がったのだ。

 3年生にとって最後の夏となる甲子園で、1年生コンビはどんな役割を果たしたのか? なぜ彼らは実力以上のものを発揮できたのか?

 甲子園出場5回、12勝を挙げた荒木は『荒木大輔がいた1980年の甲子園』(集英社)でこう語っている。

「1回戦で対戦した北陽は優勝候補と言われていましたが、相手のことは意識していませんでした。試合前に荷物をまとめて宿舎を出て、目の前の試合のことだけを考えた。僕は試合が終わって、甲子園で勝てたことがただうれしくて、記者の数が多いのを見て『甲子園はこんなにすごいんだな』と感じていました。大阪代表に勝つと、こんなに注目されるんだなと。でも、僕たちの周りだけ特別だったんですね。甲子園を出てからそれに気づきました」

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