静岡高のエースに感じた中学時代とのフォームの違い。初戦敗退も高須大雅の未来は希望に満ちている (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 高須のボールでもっとも驚かされたのは、タテのカーブだった。打席で「このあたりまで曲がるだろう」と予想する地点よりはるかに曲がり落ちる、本物のカーブ。私はこのカーブで2三振を喫し、4打数0安打に封じられた。

 私との対戦結果はともかく、高須本人は自分の可能性に気づいていない様子だった。森木らへの対抗意識を聞いても、「映像は動画で見たことがありますが、別世界だと思っています」と乗ってこなかった。

 それでも、これだけの大器を周囲が放っておくはずがなかった。高須は中学卒業後、県内屈指の名門・静岡高に進学する。

 そして高校最後の夏となる今夏、高須は押しも押されもせぬエースとしてチームを甲子園へと導いた。静岡大会では37イニングを投げ、なんと無失点。最速146キロを計測するプロ注目投手に上り詰めていた。

 だが、その投球フォームは中学時代とは大きく変わっていた。右腕のテークバックを大きくとるようになり、腕が出てくる角度も若干低くなった。私をきりきり舞いさせたタテのカーブも、前ほど脅威を感じられず。中学時代に「岸孝之投手(楽天)に憧れています」と語った面影は薄れていた。

 ただし、フォームやスタイルが変わるのも無理はない。何しろ中学3年時に183センチだった身長は192センチまで伸び、67キロだった体重は84キロまで増えているのだ。

 投手は繊細な生き物である。急激なスピードで成長する自分の肉体と運動感覚をフィットさせるのは難しい。高須はその時、その時に応じた感覚を追求し、今のフォームにたどり着いたのだろう。試合後、高須はこう語っている。

「なかなか自分の思いどおりのボールが投げられない時期もあったんですけど、体が成長するとともにフォームがだんだんよくなってきた感覚があって。この最後の夏はよかったかなと思います」

 試合前のブルペンでは状態はよかったというが、試合が始まりマウンドに立つと「抜け球が多くて、あまり調子はよくなかった」と高須は振り返る。夏の甲子園初出場の新田(愛媛)に対して、立ち上がりから球数がかさむ苦しい投球が続いた。

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