上野由岐子、ソフトボールへの「恩返し」。五輪連覇に「13年前とは向き合い方が180度変わっている」 (3ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • photo by JMPA

 もう自分の夢のため、ではない。ソフトボールの人気を上げるため、若手のため、こどもたちのため、投球を極めることとなった。2011年3月の東日本大震災も無関係ではあるまい。上野の「使命感」が頭をもたげた。

 むろん、年齢とともに体力は落ちていく。無理がきかなくなった。2014年のひざの故障の悪化、2019年の顔面骨折。スランプもあった。そのたび、引退の文字が頭にちらついた。

 悩み苦しんだ分、上野はココロが強くなった。東京五輪前、「あの(北京五輪の)時とはメンタル面が違う」と言っていた。

「ソフトボールに対する向き合い方が、13年前と今はほんと、180度変わっている。つらい経験だったり、周りの応援だったり、いろんなものを積み重ねたから今がある」

 上野はこの五輪、6試合中4試合に先発し、22回3分の1を投げた。26奪三振。被安打13の3失点。防御率は0.94だった。

 上野は「がんばってきたよかった」と漏らした。2004年アテネ五輪、2008年北京五輪、そして今回の東京五輪。「3回出させてもらって、今回が一番楽しかったです」。笑いながら、涙をこぼした。

 宇津木監督の重圧とて、並大抵のものではなかっただろう。試合後、「正直言うと、この1週間、コワかった」と打ち明けた。涙声でつづける。

「ただ、今回も、上野が必ずやってくれると信じていた。後藤にも経験させたいと思っていた。そういう意味で、上野に感謝、感謝、上野は神様です」

 最後はマウンドに上野を再び、送り出した。「それは上野にしかできないことだから」。ここに信頼がある。

 上野は、北京五輪の優勝の後はグラウンドでナインに肩車されていた。この日は、ナインと一緒になった歓喜の輪のなかにいた。チームメイトへの意識の変化が垣間見えた。世代をつなぐ、夢をつなぐ、未来へつなぐ。

 ソフトボールは次の2024年パリ五輪では再び、実施競技から外れる。でも、上野は前を向く。2つめの金メダルを胸に下げて。

「13年という年月を経て、最後まであきらめなければ、夢はかなうということをたくさんの方々に伝えられたと思う。ソフトボール競技は次回(の五輪)からなくなってしまうけど、あきらめることなく、しっかり前に進めたらいい」

 新たな夢は、次の次の2028年ロサンゼルス五輪でのソフト復活か。上野はかつてもこう言っていた。願えばかなう、と。

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