上野由岐子「もっと大胆に、感じるままに勝負した」。初回に苦戦もピッチング変更で五輪勝利に貢献 (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • 写真:JMPA

 上野は試合後の会見で、白マスク下の日焼けした顔をほころばし、こう言った。

「試合前はワクワク感が大きすぎて、興奮しすぎないよう、とにかく抑えて抑えて、丁寧に投げ急がないようにしようと考えていたんです。でも、ちょっと厳しく投げすぎちゃったのかな。2回以降は、もっと大胆に、データだけにとらわれることなく、自分がバッターを見て感じるまま、勝負できるところは勝負するというピッチングに変えました」

 その言葉通り、上野は2回以降、マウンドで躍動した。豪州打線を沈黙させ、降板する5回途中までで7つの三振を奪った。味方打線の一発攻勢を得て、日本は8-1で5回コールド勝ちを収めた。日本勢初勝利。「13年ぶりの五輪マウンドは?」と聞かれると、22日に39歳の誕生日を迎える上野は、「13年ぶりという感傷はあまりないんですけど。ただ、このマウンドに立つために(ソフトボールに)取り組んできたんです」と感慨深そうだった。

 この13年、いろんなことがあった。五輪からソフトボールが一度除外され、目標やモチベーションを失いかけた。2014年にはひざの故障から引退を考えたこともある。一昨年4月には試合中に打球を顔面に受け、骨折した。上野は笑って思い出す。「このままじゃダメだよって、神様が教えてくれた」と。

 新型コロナウイルス禍による1年延期、国民の一部には五輪反対の声があるのもわかっている。だが、上野は上野だ。マウンドで戦うしかあるまい。被災地のため、日本のため、ソフトボール界のため、である。大会前の会見で、上野は「(13年前と一番変わったのは)メンタル面だと思います」と漏らした。

 上野はさらにたくましくなった。無観客でも「グラウンドでやるべきことは変わらない」と言い切った。

「テレビや報道を通して、たくさんの方に何かを伝えられるよう、ただガムシャラに、必死にグラウンドで戦っていくだけだと思っています」

 地元開催の東京五輪が「集大成」となる。さあ、再びの五輪金メダルに向け、鉄腕上野の最後の五輪がはじまった。

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