大阪桐蔭ナインに「悪役」のレッテル。夏の大阪初制覇も前代未聞の事態になりそうだった

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

 光武の実力は誰もが認めるところだが、ほかのメンバーが結果を出すばかりにどうしても埋もれてしまっていた。

「光武で大丈夫ですか?」

 監督の長澤和雄は、そのように訝しがる選手の声を聞きながらも光武を信頼していた。

「ひとつの大会でみんな3割なんて打てないですわ。あの夏は光武がたまたまそうであって、本来はいい仕事しよるんです。せやから、納得がいかない選手に対して『そう言うな』と諭しましたけどね」

 そんな監督の期待に応えたのが近大付との決勝だった。玉山も萩原も足立も「あれがなかったら甲子園に行けなかった」と口を揃える一打は、0対1の4回に訪れた。

 二死一、三塁の場面で、光武は相手先発の大塔正明のストレートをバックスクリーンに弾き返す逆転の3ランを放った。

「僕は『意外性がある』ってよく言われていたんです。井上も萩原も打てなくて、チームも負けている......追い込まれないと力を発揮できないタイプだったかもしれないですね」

 光武の一発で勢いに乗った大阪桐蔭は、萩原と井上にも本塁打が飛び出し、8対4で打撃戦を制した。主軸の不振がありながらも"脇役"と自認する男たちの献身によってチームは一枚岩となり、初めて夏の大阪の頂点に立った。

 だが、全員が大阪桐蔭の戴冠を祝福していたわけではなかった。閉会式後、部長の森岡正晃は大阪府高野連から祝辞もそこそこにこう切り出された。

「優勝おめでとうございます。ただ、甲子園に出場させるかどうかは今から審議します」

「はぁ⁉︎」。森岡は心のなかで目いっぱい悪態をついたが、表向きはいたって冷静に話を聞いていた。結果的に"遺恨試合"になってしまった3回戦の北陽戦をはじめ、森岡はこの大会で計3回も始末書を提出させられた。おそらく高野連は、チームのマナーの悪さを強調したかったのだろう。

 学校に戻り、森岡が優勝報告とともに高野連との一連のやり取りを伝えると、校長の森山信一は憤りながらも、こう豪快に言い放った。

「かまへん。ええやないかい! うちが大阪で優勝したのは間違いない。もし決勝で負けたキンコウ(近大付)が甲子園に出てみい。前代未聞の出来事やで!」

 結局、高野連は大阪桐蔭を大阪代表として認めた。

 大人たちを困惑させるほどの異端児たちが集まった大阪桐蔭。そんな強烈な個性を放つチームは、甲子園という大舞台でその力を存分に発揮することになる。

(つづく)

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