大阪桐蔭の「絶対に負けられない戦い」は乱闘寸前の遺恨試合になった (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Okazawa Katsuro

 二遊間を起点として堅守。また4回からマウンドに上がった背尾も相手打線を無失点に抑えるなど、大阪桐蔭ベンチは熱量を保ちながらも冷静に勝機をうかがうことができた。

 4対5で迎えた8回、反撃の口火を切ったのは6番の光武だった。

「序盤はリードされていて、自分もカッカしていたところはありましたけど、比較的落ち着いていたと思います。『負けたくない。なんとしても出塁せな』って」

 この回先頭の光武が、北陽の2番手・浜村昌明からセンターオーバーの二塁打で出塁すると、さらに無死一、三塁とチャンスを広げる。ここで打席を迎えた足立も、自分の仕事に徹することだけを考えていた。

「『ここが山場や』と思いましたね。冷静さ以上に、気合いが入っていました。『ここで俺が打てば、チームが盛り上がる!』って」

 そんな気持ちがバットに乗り移る。右中間を破る二塁打で同点。北陽はセンターを守っていた寺前を再びマウンドに送ったが、潮目は完全に大阪桐蔭へ傾いていた。一死満塁から澤村が押し出しの四球を選び勝ち越し。さらに2点を追加し、この回一挙5点。大荒れの試合は事実上、ここで終結を迎えた。

 スコアは9対6。行き過ぎた言動があるなど、決して褒められた内容ではなかったが、選手たちには「負けられない」という強い意志と情熱があった。森岡が強い言葉で同調する。

「周りからは『やんちゃ』『悪ガキ』と言われましたけど、そうじゃないんです。『勝ちたい!』という気持ちが、ほかの高校生より強すぎたんです。褒められた行為でないことはわかっています。でも僕は、気合いの表われだったと受け止めています」

 試合後、森岡は主審に「以後、気をつけてくださいね」と念を押された。大阪府高野連からも厳重に注意され、始末書も提出した。だからといって、選手を責めることはしなかった。

 後年、アマチュア関係者が集まる会合で偶然にも北陽戦の主審と再会し、「和解したんです」と教えてくれた玉山は、森岡ほか自分たちを尊重してくれた指導者の方針を意気に感じていた。

「森岡さんはもちろん、長澤監督も有友(茂史)コーチにしても、僕だけやなくて、みんなのことを理解してくれていたと思います」

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