阪神・佐藤輝明に似た大物スラッガー。神奈川大のドラフト候補は「ものすごい逸材」

  • 菊地高弘●文・写真 text by Kikuchi Takahiro

 高校通算20本塁打だった佐藤輝明と同じように、高校時代の梶原も通算14本塁打と特筆する実績があったわけではない。だが、身体能力は高校生離れしていた。50メートル走5秒8の快足、ソフトボール投げの測定で90メートル先のフェンスに直接ぶつけてしまう強肩。磨けば光る原石だった。

 岸川監督は大学1年春から梶原を起用する。だが、最初のリーグ戦では49打数で17三振を喫した。しかも、ワンバウンドの明らかなボール球に手を出して三振するなど、内容もよくなかった。意気消沈する梶原に、岸川監督はこう言って聞かせた。

「おまえが打てると思えば振っていい。世間のストライクゾーンとおまえのストライクゾーンは違うから」

 そんなおおらかな方針に見守られ、梶原は1年秋のリーグ戦では早くも打率.400を記録して首位打者に輝く。そのまま順調に成長していくかに見えた。

 しかし、2年以降の梶原は足踏みが続いた。打線が活発な日にブレーキになったり、タイミングが合わないかと思えば長打を放ったりと、つかみどころのない内容ばかり。すごさともろさが表裏一体になっていた。

 3年秋の年度最後の公式戦となった横浜市長杯で敗退後、岸川監督は梶原について厳しい言葉を吐いている。

「このままでは『いいものを持ってるね』と言われて終わる選手です。彼は『いいバッター』じゃない。『すごいバッター』にならなきゃダメなんです。私の目が狂っていなければ、ものすごい逸材のはずなんです。でも、ダイヤだって磨かなければ石ころと同じですから」

 期待ゆえの苦言だと梶原も十分に理解している。梶原は「この冬は死ぬ気でやります」と決意を語っていた。

 だが、そんな師弟にコロナ禍が水を差す。神奈川大野球部は年末年始の活動がままならず、チーム練習が再開したのは2月中旬。岸川監督は「言い訳にしてはいけないが」と前置きしたうえでこんな窮状を打ち明けた。

「ウチの部員は昨年度12カ月のうち6カ月は横浜にいられなかったんです」

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