ダルビッシュが絶賛も突如、野球界から消えた強打者。妻に背中を押され再びNPB挑戦へ

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

 手首を万全にしてからプロを目指したほうがいいという関口監督の説得に納得した植田は、新潟の企業チーム・バイタルネットへと入社する。ところが1年目のキャンプでいきなり運命は暗転する。

「守備中にフェンスに右手を強くついて、さらに悪化させてしまったんです。それからはずっと手首が痛くて......」

 治療の成果が表れず、別の病院で見てもらうと「手首の骨が変形しているから手術をしたほうがいい」と勧められた。復帰には1年から1年半かかるという。悩んだ末に、植田は手術を受けることにした。

 時を同じくして、植田の人生に大きな転機があった。中学時代から交際している女性・実穂さんとの間に子どもができたのだ。

 新たな生命の誕生は植田に純粋な喜びを与え、父親としての自覚を芽生えさせた。すると、動かない手首と自分の未来が急に心細く感じられた。

「鬱状態になっていました。なんで野球できへんのやろ、ホンマに治るんかな......と不安で。周りが練習しているのを見るのもしんどくて、3~4カ月もすると野球に行くのが嫌になってました」

 妻子と生活するには、今の会社の待遇では破綻してしまう。そう思いつめた植田は2年目にして退社を決意する。

 故郷の大阪に居を移し、飲食店で働き始めた。途中から介護施設のアルバイトも並行し、野球は友人の紹介で加入したクラブチームでプレーする程度だった。

 だが、植田の才能を惜しむ声は大きかった。国内独立リーグでのプレーを熱心に勧める関係者もいたが、植田は給与がシーズン中しか出ない独立リーグの厳しい待遇を知って尻込みしていた。

 ところが、悩む植田とは対照的に妻の実穂さんはさかんに発破をかけた。

「このまま野球が終わってええんか?」

「プロに行けるんちゃうか?」

 もっとも身近な理解者から背中を押され、植田は独立リーグからNPBを目指す道を選んだ。

 2020年6月末に四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツに入団。しかし、植田を待っていたのはさらなる試練だった。

「気持ちは『絶対行ける!』という思いがあったんですけど、想像以上にブランクは大きかったです。ストライクゾーンやコースへの距離感が全然つかめませんでした」

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