大阪桐蔭、甲子園デビューから30年。「王者の歴史」はひとりの中学生獲得から始まった

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

 森岡は、その後に起こる出来事の「きっかけは井上」と言い切る。

 意中の井上が大阪桐蔭への進学を決めたのは中学3年の4月頃だという。ちょうどその頃、大東畷ボーイズは春季全国大会で初優勝を遂げていた。その強豪チームの4番に君臨していた打者が「無名の高校へ行く」という情報は、瞬く間に知れ渡った。

「大阪桐蔭いう高校、本当に行くんか?」

 玉山はその情報を仕入れると、すぐに井上の自宅に電話し、真相を確かめた。

「行くよ。家から近いし」

 井上は高校の所在地である大東市出身で、そのあっさりとした返答に玉山は困惑した。

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 玉山は春季全国大会決勝で、大東畷ボーイズに敗れ準優勝となった京都ファイターズの主将だった。そんな彼が、萩原や天理に進むこととなるエースの谷口功一(元巨人など)以上に認めていた井上が、創部間もない大阪桐蔭に進むことが不思議だったが、すぐ合点がいった。

「中学から有名やった井上が、森岡先生から誘われてたのは知っていました。僕もそうでしたからね。もう、すごかった! 今でいう違反スレスレです(笑)。あの頃から面白い先生やったですよ、ホンマに」

 地元志向が強く、京都を離れるつもりがなかった玉山は、中学1年から自分を見続けていた森岡を遠ざけていた。それでも大阪桐蔭の野球部部長の執念はすさまじく、四国で開催された大会まで追ってきたことがあった。そのことに驚きつつも、玉山は場外ホームランで存在感を見せつける。

 試合後、いきなり森岡から声をかけられた。

「絶対、大阪桐蔭に来いよ!」

「嫌や!」

 そんな意固地だった中学生が観念し、大阪桐蔭に進んだ背景に受験の失敗があった。「ほぼ白紙で出したんです。いくら何でもアカわね、ダメな中学生でしょ」と頭を掻くが、心根では進学先の決意は固まっていたのだろう。この一報を知った森岡からまたもアプローチされ、玉山はようやく首を縦に振った。

「井上も行くと言うし、『そこでえっか』っちゅうぐらいのノリでした」

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