東海大菅生の元日本代表バッテリー、驚異の経験値。センバツ優勝を狙う

  • 高木遊●文・写真 text & photo Takagi Yu

 一方、合宿初日におどおどしていた本田も、試合になれば福原に負けず劣らず、メンタルの強さが光った。左投げの本田は今よりもさらにインステップで投げており、左打者にとっては背中からボールが来るような球筋だった。そのため清水隆行監督(元巨人)は本田をリリーフで起用。走者をおいた場面での登板が多かったが、キューバやドミニカ共和国の強打者たちを手玉にとり、何度もピンチをしのいだ。計5試合に登板してチーム唯一の自責点0と、堂々の結果を残した。

 先に東海大菅生に入学したのは、1学年先輩の本田だ。県内の強豪校からも誘いを受けたが、「以前から県外に出て、レベルの高いところで野球がしたいと思っていました」と上京した。

 そして1年後、福原も「信頼できて、優しくて、この人ならついていきたいと思いました」と、本田のあとを追って東海大菅生への入学を決めた。すぐさまコロナ禍による緊急事態宣言が発令され、ともに地元へ帰省したが、豊富な経験と高い知識を持つふたりは鍛錬を怠ることはなかった。

 昨年夏に行なわれた東京都の代替大会は、東海大菅生の若林弘泰監督が「(大会に出場する機会が失われるのは)全学年一緒。甲子園がなくても関係ない」と、普段の夏と同じくベストメンバーで戦った。

 そのなかで2年生の本田と1年生の福原もベンチ入り。本田は大会後半の4試合すべて(うち先発は3試合)に登板した。

 福原も本田が登板する時には捕手、それ以外は二塁手を務め、1年生とは思えない落ち着いたプレーを披露。とくに準々決勝の日大二高戦では、三塁ゴロで相手三塁手が一塁に送球したタイミングを見計らって三塁走者だった福原がスタート。見事に本塁を陥れるなど、センスのよさを見せつけた。

 このふたりの活躍もあって、チームは代替大会を制した。この経験が秋の東京制覇につながったと、若林監督だけでなく本田も福原も力を込めて強調する。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る