廃部寸前からセンバツ出場の奇跡。大崎の監督が思う島民への「恩返し」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 復帰までの4年半について、野球のない日々に心乱れたことはなかったのかと話をむけたところ、清水から「僕はもともと野球がないとダメという人間ではないんです。どっちかというと仕事感覚が強いんです。義務感と責任感とかに近い感じです」と返ってきた。ストイックに野球と向き合い、勝負に厳しく、これだけ打ち込んできた男からの意外な答えに、少し驚いた。さらに清水はこう続けた。

「生徒にもそこは求めます。自分のため、家族のためにやるのもありますが、いろんな人に応援してもらって、支えてもらっているんですから...‥恩を返す義務がある。『ありがとうございます』だけじゃなくて、借りたものは返さないといけない。そこはよく言っています」

 そうした思いはそれまでもあったが、大崎に来てからより強くなったと清水は言う。

「私がいろいろ騒がれた人間だというのを知らないんじゃないかと思うほど、職場の人も島の人も温かく迎えてくれた。だから、ここに来てからよりいっそう、お世話になった人たちに恩返ししないといけない、喜んでもらいたい......その気持ちでやってきました。だから今回の甲子園で少し恩返しできたとしたら、それが一番です」

 清水は勝つためのチームをどうつくってきたのか。現チームにも坂本安司、調祐李(しらべ・ゆうり)のバッテリーのように中学時代に軟式の全国大会出場経験者もいるが、ほとんどはどこにでも普通の選手たちである。そのチームが、清水が大崎を指導してからわずか3年で甲子園にたどり着いた。

「一番は徹底すること」

 決めたことはきっちりやり切る。ダッシュは最後の1メートルまで走り切る。遠投も1球1球全力で投げ切る。

「できる、できないと、やる、やらないは明確に分けて考えています。全部できるのはプロ。まず、やろうとする姿勢を徹底しないと。ここは相当うるさく言います」

 また、投手指導に定評がある清水だが、高校時代はピッチャー兼ファーストで「なんてことのない選手でした」ということらしい。できない選手の気持ちもわかるが、"徹底"を重ねることで体も心も強くなり、負けにくいチームができあがることを学んだ。だからこそ、一切の妥協を許さない。

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