無名公立の山田高校が甲子園に迫る。80歳「おばちゃん」の教え子も (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 ウルフ誕生が1972年で、山田高校の創立が84年。吹田市周辺にもたくさんの子供が溢れていた時代だった。

「このあたりにも軒並みマンションが建って、地元の子供たちが行けるところを......というなかで新しくできたのが山田高校でした。以来、ウルフの卒業生たちも、学校にも野球部にもたくさんお世話になってきました」

80歳の今もノックを打ちまくる「おばちゃん=棚原さん」(写真=石津昌嗣)80歳の今もノックを打ちまくる「おばちゃん=棚原さん」(写真=石津昌嗣)
  今では少年野球の世界で全国トップレベルの部員数を誇るウルフ。チームを卒業したあとの子供たちは、地元中学の野球部や硬式のクラブチームで野球を続ける者もいれば、ウルフで野球を終える者もいる。硬式のクラブチームから地方の高校へ進み、甲子園に出場した卒業生も10名以上おり、彼らの成長に触れることも大きな楽しみだが、それでも地元中の地元、山田高校の活躍にはまた特別な意義があると、おばちゃんは続けた。

「小学校から近所でやってきた何でもない子供たちが、強豪に勝って甲子園出場の可能性まである。これは周りの公立高校の子供たちにも、ものすごく大きな希望を与えたと思うし、『俺たちも結束して戦えばやれる』と意欲を持てる出来事だったと思います。私たちも指導するなかで子供たちのパワーにはいつも驚かされますけど、今回の山田高校の活躍にも子供たちの持つ可能性の大きさを改めて感じさせてもらいました」

 吹田市は大阪でも学童野球が盛んな地域として知られるが、山田高校の近隣にある万博記念公園にはガンバ大阪のスタジアムがあり、Jリーグ発足以降はサッカー熱も高まった。それでも、一時はサッカー人気に押されていた少年野球の勢いが近年は持ち直してきているという。

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