甲子園優勝3回。木内幸男監督の「マジック」はいかにして生まれたのか (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Kyodo News

 気づきといえば、2003年夏の甲子園でこんなことがあった。準決勝の桐生第一(群馬)戦。それまでの試合で15回も試みていた送りバント(内野安打になったものを含む)を一度もしなかった。スクイズも3回戦で1回、準々決勝で2回していたが、この試合はランナー三塁の場面ではすべて強打。その結果、2本の犠牲フライで得点を挙げた。その理由を聞くと、木内監督はこう語った。

「大阪はいつも湿度が高いけど、それでも今日は少ないほうだと。ホームランが前の試合で2本出てますから。(風が)フォローかなと思っていたら、それほどじゃない。それでホームランが出るってことは空気が乾いている。その時はボールが飛ぶんですよ。ですから『今日は外野フライでいいわ』という感じがあったんで、スクイズはやりませんでした」

 ボールが飛ぶ、飛ばないという話になった時、風を話題にする監督は多いが、湿度の話をする人はほとんどいない。木内監督があらゆる角度から見ていた証拠だ。

 ちなみに、スクイズを封印した理由はもうひとつあり、翌日の試合の準備をするためでもあった。準決勝の第1試合で勝利し、すでに決勝進出を決めていたのはダルビッシュ有(現・カブス)擁する東北高校(宮城)。ダルビッシュを攻略するにはバント攻撃では難しいと考えていた。

「私がね、バントをうんと使うもんですから、野球が小さくなってしまった。小さくしちゃうと子どもたちがのびのびしなくなっちゃうの。明日(決勝)は打撃に磨きをかけないと勝てない。だから今日はスクイズをやめて、力の野球をさせたんですよ」

 当時のダルビッシュは、走者が得点圏にいるとギアを上げるが、ランナー一塁の時はほとんど全力投球をしていなかった。木内監督はそこを突くのが狙いだった。

 0−2とリードされた3回表、4回表はともに無死からランナーが出たら、いずれもバントはさせずヒッティングを命じた。策はすばり的中。4回に一挙3点を挙げて逆転に成功した。

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