本職は介護業。異色の非エリート選手が都市対抗出場でプロ入りを狙う (2ページ目)

  • 高木遊●文 text by Takagi Yu
  • photo by Kobayashi Hiroko

「高校では野球を楽しめず、試合に出るのが怖かったですし、グラウンドに行くのも心臓がバクバクするほどでした。だから大学で楽しんで野球を終えようと思いました」

 最初は「楽しもう」と再開した野球だったが、谷口弘典監督は「基礎体力や身体能力が高かったので」と早くから大友を起用した。すると、大友の心境も大きく変化した。

「試合に出ると両親も喜ぶし、監督も信頼して使ってくれている。高校時代の経験で試合に出られない人の気持ちも知っていたので、試合に出るからには中途半端にはできないと取り組み方が変わりました」

 チームの全体練習だけでなく、ひとり暮らしの部屋でもYouTubeを見てトレーニング法を調べるなどして地道に取り組んでいくと、どんどんと体つきが変わっていった。

 また、高崎経済大OBで卒業後はアメリカ独立リーグでプレー、ロッテやBCリーグ群馬でもブルペン捕手やマネージャーを務めた谷口監督の指導方針もハマった。

 谷口監督はあいさつや全力疾走を怠った時は厳しかったが、ミスに関しては「ミスして当たり前。10失敗して1成功して1、2年後に勝っていればいいんです」と積極的な失敗ならば怒ることはなかった。

 高校時代にミスを恐れてビクビクしながらプレーしていたかつての大友の姿は、自然と消えていった。授業、野球部の練習、個人トレーニング、居酒屋のアルバイトと充実した時間を過ごした。

 体格や筋力の変化により特にパワーは格段に上がっていった。ある時球速を測ってみると145キロを計測したほどだった。当然打撃にも反映されるようになり、もうひとつの大きな転機が訪れる。

 3年秋の3部リーグ戦。普段は各大学のグラウンドなどが主会場の中、その日の会場はプロ野球公式戦も開催されるHARD OFF ECOスタジアム新潟。1部リーグの新潟医療福祉大対山梨学院大の前座として3部リーグの対信州大戦が組まれた。この幸運を大友は見事に掴む。

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