レジェンドの弟が打撃の免許を皆伝。普通の捕手が3年でドラフト候補へ (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sportiva

 牧原は「キャッチャーとして力が出せなかったのは、調整できなかった自分のせいです」と自分を責めた。だが、コロナ禍の影響も少なからずあったと山本監督は言う。

「自粛期間の3カ月の間に、スローイングが崩れてしまっていました。本当なら技術が定着して、実戦を通してキャッチャーとして高い次元を要求したい時期に練習ができず、停滞してしまった。技術が定着しないまま、大会に入ってしまいました」

 練習試合が解禁になる時期には、右太ももの筋膜炎を発症した。本人は言い訳しないものの、スローイングの際に右足を踏む位置を重視するタイプだけに、影響は大きかったはずだ。牧原は「バランスが崩れて、力で投げているところがありました」と語る。夏の大会終了後は動作修正に取り組み、いい方向に向かっている。

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 そして、日大藤沢で得た無形の財産もあった。山本監督は捕手に技術以上に求めることがある。それは「愛情」である。牧原は山本監督がそう語ったインタビュー記事を入学前に読んでいたという。

「正直言って、『愛情ってなんだろう?』と思って入学しました。でも、高校3年間を通じて少しずつわかってきたような気がします。試合に勝つには、ピッチャーが気持ちよく投げてくれることが一番。もちろん人間としての相性はありますが、キャッチャーが合わせていかないといけないなと」

 ブルペンに入り、投手を観察する。普段の投球練習や練習試合を通して、投手の特徴をつかもうと努力する。1学年上には、武冨陸(現・法政大)という好左腕がいた。牧原は「武冨さんは自分のジェスチャーの仕方次第で制球が決まってくる」と気づいた。相手打者、ベンチに悟られない範囲で、牧原は「武冨さんのいい目標となれるように」という思いを込めて、ジェスチャーをつけて構えるようになった。昨夏の神奈川大会準優勝という結果は、牧原に捕手として大きな自信を植えつけた。

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