公立の名将が狙う3度目の甲子園。攻撃野球でヒガハリ旋風を巻き起こせるか (2ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Sawai Fumi

 平日は1日2時間ほどしか練習できない日もあり、グラウンドは他の部活と共用で、レフト後方はサッカー部、センター後方はソフトボール部、ライト後方は陸上部が活動しており、基本的に外野ノックはできない。最近は近隣の野球場を借りて練習することもあるが、立地上の問題やグラウンドの広さの兼ね合いで打撃練習はできないという。

 そんな厳しい条件でも攻撃野球の姿勢は変わらない。走塁は年を追うごとにアップデートを繰り返し、「アレンジしながらバリエーションは増えています」と福村監督は胸を張る。とはいえ、最初から順風満帆にきたわけではなかった。

「東播磨は頭のいい子が多かったので、私の言うことは理解してくれていました。ただ、それを実戦でしっかり生かせていたかというと......。そこはなかなか難しかったですね」

 2015年夏の兵庫大会では初戦敗退の屈辱を味わったが、翌年夏は県16強まで勝ち進み、昨年夏の県大会も16強まで勝ち上がった。

 今年はコロナ禍のなか、春の県大会が中止となったが、福村監督はある秘策を敢行した。練習自粛中に、この秋の新チームから主将を務めることが決まっていた原正宗をいち早くキャプテンに任命したのだ。

 原は"福村野球"に憧れて東播磨に来たひとりである。福村監督率いる加古川北が甲子園に出た時はリアルタイムで見ていなかったが、東播磨に走塁を身上とする指導者がいるという情報を知り、「もともと走塁に自信がありましたし、福村先生の野球は自分に合っていると思って」と進学を決めた。

 この秋の育英戦では初回に1番の原が安打で出塁すると、次打者の初球ですかさず盗塁を決めたシーンがあった。盗塁については、「行けるなら行け」と選手の自己判断に任せている。

「原は私の野球を一番理解してくれているというか、一番近い存在でいてくれています」

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