元ホークス島袋が天才と認めた「興南の5番」。
柳田悠岐のような長打力が魅力

2020.10.12

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Matsunaga Takarin

島袋洋奨はホークス戦力外を経て母校へ>>

 野球熱の高い沖縄だが、そのほとんどは高校野球だ。だが今、沖縄の社会人野球が地殻変動を起こし、大きな注目を集めている。

 その原動力となっているのが、今年創設されたシンバネットワークアーマンズBCだ。創部わずか8カ月、しかも部員13人で今夏に行なわれた都市対抗九州二次予選で沖縄県第2代表の座を勝ち取っている。その中心メンバーとなっているのが、コーチ兼選手の銘苅圭介(めかる・けいすけ)だ。高校野球ファンならご存知の人もいるかと思うが、かつて甲子園を湧かせた選手のひとりである。

春夏連覇を達成した興南の5番打者として活躍した銘苅圭介 ちょうど10年前の2010年、興南高校(沖縄)はエース・島袋洋奨の活躍もあり、史上6校目の甲子園春夏連覇を成し遂げた。そのチームの「5番・ライト」として春夏通算42打数17安打(打率.450)9打点を挙げたのが銘苅だった。

 銘苅は甲子園での活躍もあり、東京六大学をはじめ、東都大学リーグや社会人の名門からも誘いがあったが、地元の名桜大学を選んだ。

「もともと大学で野球をやるつもりはなかったので、だったら地元でいいかなと。プロを目指すために野球をやっていたわけじゃないので......」

 そう淡々と話すにはわけがあった。

 銘苅は高校時代に両膝の半月板を痛め、在学中に2度も手術をするほど状態は悪かった。だからといって、周りが銘苅の才能を放っておくはずがない。入学した名桜大学では執拗な勧誘により、1年の夏過ぎに入部を決意。

 すると、メキメキと実力を発揮し、大学九州選抜チームに選ばれ、オランダ遠征では台湾選抜チームから特大の一発を放つなど、誰もが"銘苅健在"を確信し、未来は明るいように思えた。

 しかし、周囲の期待をよそに膝の爆弾を抱えたままプレーを続けることに限界を感じていた。それでも大学卒業後は沖縄の社会人チーム・エナジックに入社し野球を続けたが、膝が限界に達し1年で退部した。