進学校の120キロ左腕が華麗に成長しプロを目指す。可能性にフタをしない (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 だが、片山は高い期待を裏切り続けた。2年夏は背番号1をつけるも、実質エースだったのは同学年で急成長した右腕・鈴木彩斗(現・筑波大)。鈴木が原動力となり、日立一高は2015年夏の茨城大会で準優勝と躍進する。片山は投げてみないとわからない不安定な投球で、チームの信頼を勝ち取れなかった。肩関節の可動域の広さが仇となり、1球1球同じ腕の振りを再現できないのが課題だった。

 それでも、中山監督はいつも片山の潜在能力を認め、鼓舞していた。私も4年前の6月、投手陣を集めたミーティングで中山監督が片山を名指しして、こう語りかけているのを目の当たりにした。

「おまえの伸びしろは、半端ないんだ。すごい力が眠っているんだよ。俺はそれが花開く瞬間を見たいんだ」

 甲子園出場を期待された最後の夏は、3回戦で敗退。片山は初戦で不安定な投球を見せて以来、登板機会がなかった。

 そんな折、桐蔭横浜大の齊藤博久監督は、中山監督から「齊藤監督に見てもらいたいピッチャーがいるんです」と相談を受けている。齊藤監督は水戸短大付(現・水戸啓明)で監督を務めたキャリアがあり、中山監督とは旧知の仲だった。片山の投球を見た齊藤監督は、すぐに「ウチにほしい」とスカウトする。

 桐蔭横浜大は高校時代に無名でも、ポテンシャルの高い選手を花開かせる事例が多い。富士重工業(SUBARU)経由でプロ入りした東明大貴(オリックス)は岐阜・富田高時代、公式戦で1勝もしたことがない投手だった。中山監督は「齊藤監督なら片山の特性を理解して、能力を伸ばしてくれる」と信じたのだ。

 それでも、片山は大学でも一進一退の日々を過ごす。2年秋に台頭し、リリーフとしてリーグ戦初勝利を挙げて浮上のきっかけをつかんだかに見えたが、開幕投手に起用された3年春は未勝利。あまつさえヒジの故障を負って、長期離脱した。

 しかし、昨秋が終わった時点で、齊藤監督は自信たっぷりにこう語っていた。

「片山は来年やると思うよ。ケガをしても、あいつは自分ひとりでもすごく練習ができるヤツなんだ。ハマった時はえげつないボールを投げるからね」

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