東北のドラフト候補右腕は元遊撃手。
国際派監督「こんなに伸びた子は初めて」

  • 高木遊●文 text by Takagi Yu
  • photo by Takagi Yu

 そんななか、大きな転機となったのが2年春。南東北大学リーグで最大のライバルである東日本国際大との試合だ。赤上は延長タイブレークで片岡奨人(現・日本ハム)に満塁本塁打を浴び優勝を逃した。

「(春で引退する)先輩たちの野球を終わらせてしまった」と悔し涙を流した赤上だったが、その時、横田監督からハンカチを手渡され、「次は優勝して嬉し涙にしよう」と声をかけられた。この一戦がターニングポイントとなり、その後の成長の大きな糧となった。

 赤上が東北公益文科大に進んだ理由は「公務員試験に強く、公務員講座も安く受けられるから」だったが、「あの試合からより本気で野球に取り組むようになりました」と振り返る。そうして翌春には、最速153キロをマークするまでになった。

 急成長の要因には、横田監督の"型にはめない指導"も大きい。

「日本の(指導の)イメージとしては全員を型にはめがちですが、僕は基本的なポイントさえ間違っていなければ直しません。結果を残しているんだったら、直す必要はないでしょう。いい種に水を与えて成長させる。そのためにメンタルとフィジカルを強くしようという考えです。(全員に)『これが正しい指導法だ』というのはありません」

 赤上の場合は、投球を始めた当初から肩が強いとわかっていたので「(トレーニングや食事で)球は自然と速くなると思いました」と球種を増やすことを課題にし、登板機会を多く与えて投手としての経験を積ませた。また、深呼吸を使ったビジュアライゼーション(イメージトレーニング)も教えた。

 今年は大学野球の集大成として、全国の舞台でそのピッチングを披露するつもりだった。3月のオープン戦ではスカウトの前で150キロ超のストレートを連発するなど、調整は順調に進んでいた。

 しかし、コロナ禍の影響によりリーグ戦と大学野球選手権が中止に。赤上は「みんな一緒なので仕方ないです」と悔しさを押し殺し、バーベルを使ったトレーニングや坂道ダッシュに励むなど、一から体づくりに励んだ。

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