巨人がドラフト1位で狙うスラッガー。
謎の自信が本物に近づいている

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

 佐藤という選手の歴史を紐解くと、エリートでもあり、非エリートでもある。そんな奇妙な軌跡に行き当たる。

 小学6年時にはNPB12球団ジュニアトーナメント(12球団が有望な小学5〜6年生の選抜チームを編成する大会)の阪神ジュニアに選出された。この時点では紛れもないエリートだった。

 だが、佐藤は選出されてすぐ、右ヒジに重症を負ってしまう。

「阪神ジュニアに選ばれたんですけど、すぐヒジにネズミ(遊離軟骨)ができてしまって、何もしてないんです」

 試合には出場せず、ランナーコーチとして過ごしたという。それ以来、1年間のノースローを言い渡された佐藤は、エリートコースから外れていく。

 関西地区といえば硬式クラブチームの本場だが、手負いの佐藤は地元の中学校の軟式野球部に入部する。ノースローの時期は野球がほとんどできなかった。代わりに熱中したのがサッカーだった。

「部活は野球部でしたけど、休み時間はサッカー、家に帰ってからもサッカー、休みの日はずっとサッカー。サッカー部の友達ともやっていましたね。点を取るのが楽しかったんです」

 高校ではサッカー部に入ろうかと検討するほど、サッカーに傾いた時期もあった。「今もサッカーを見るのは好きです」と佐藤は明かす。

 高校は自宅の近所にある仁川学院(にがわがくいん)に進学する。高校通算本塁打は20本、チームの最高戦績も兵庫ベスト32と特筆するような実績は挙げていない。だが、高校3年生になる頃、佐藤のなかに「謎の自信」が芽生えていた。

 きっかけは高校2年の冬から本格的に取り組んだウエイトトレーニングだった。佐藤は「悪いことはなく、いいことばかりだった」と振り返る。全身をまんべんなく鍛えたことで打球が飛ぶようになっただけでなく、足も速くなり、送球も強くなった。

「もともと何もしなくても、周りよりできたのかなと思うんです。ちょっとしたセンスを持っていたと思うんですけど、それから謎の自信が出てきましたね」

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