高校で野球を終える3年生のリアル。帯広農は空中分解寸前だった (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Kyodo News

 菅の0%を筆頭に、千葉とサードの梶祐輔が10%、ファーストの前田愛都が20%、秋の大会で打率.667を記録した水上流暢(はるのぶ)が30%。これは彼らが入学した時点で感じていた甲子園に行ける可能性を示した数字だ。

 甲子園を目指して野球はやるが、決して現実的な目標ではない。だが1月24日、夢が現実のものとなった。

 昨年秋の北海道大会ベスト4と農業高校の特性を生かした日頃の活動が認められ、21世紀枠でのセンバツ出場が決まったのだ。センバツ出場は初。夏を含めても、帯広農の甲子園出場は100年の歴史で2度目の快挙だった(1982年夏に出場)。だからこそ、センバツ中止は言葉では言い表せないほどショックだった。

 それでも部員たちは「まだ夏がある」と前向きに取り組んだ。コロナ禍による自粛期間中、井村は自宅でティー打撃やネットスローに励み、近くにある坂道でダッシュを繰り返した。

 水上は家業の農作業を手伝ったあと、自粛中に購入したネットに向かってティー打撃で汗を流した。

 すべては幻になった夢舞台への切符をもう一度手に入れるためだった。だが、夏の大会の中止が決まり、いきなり目の前から目標が消えた。そして引退を決意したのだった。

 主将の井村から3年生の総意を聞いた前田監督は、結論を1週間先延ばしにした。帯広農野球部の歴史に残るセンバツ出場を勝ち取った3年生たちが、このまま終わっていいわけがない。前田監督は彼らの気持ちを理解しつつも、こんな提案をした。

① 代替大会で優勝を目指す(この時点では開催は決定していなかった)
② 7月5日に十勝支部予選の会場である帯広の森球場で同じくセンバツ出場が決定していた白樺学園と試合をする
③ 札幌ドームを借りて紅白戦をする

 そして前田監督は部員たちにこう言った。

「どんなかたちであれ、最後までしっかりやろう。終わり方は大事だよ」

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