「史上最悪の大誤審」が930万再生回数。当事者が明かす大荒れ試合までの記憶 (2ページ目)

  • 菊地高弘●取材・文 text by Kikuchi Takahiro

40年前、川口工業野球部のキャプテンを務めていた国府田等さん(写真/国府田さん提供)40年前、川口工業野球部のキャプテンを務めていた国府田等さん(写真/国府田さん提供) 動画を見た私は、当事者に会ってみたいと思った。誤審後のラフプレーや威圧的なふるまいを肯定するつもりはない。今と40年前では当然、時代が違う。だが、映像から伝わってきた40年前の球児のむき出しのエネルギーをあらためて振り返ってもらいたいと思ったのだ。

「職場でもよく『見たよ』って話題にされるんですよ。飲み会中に動画を見せてくる人がいたり。今日も仲間のグループLINEに『取材を受けるよ』と流したら、『ソリ込み入れて行ってください』なんて言われましたよ」

 国府田さんはそう言って、切れ長の目をさらに細めて笑った。当時、額にソリ込みを入れるのが、血気盛んな野球部員のトレンドだった。国府田さんたちは鬼のツノのような形状から「鬼ゾリ」と呼ばれた深いソリ込みを入れ、周囲の高校球児たちから恐れられていた。

「当時は『カワコウ』と言えば川口工業でしたけど、今は『カワコウ』と言うと川口高校と思ってしまう人が多いみたいですね」

 国府田さんは少し寂しそうにそう言った。川口工業こそ、国府田さんの母校であり、「大誤審事件」の主役だった。1977年夏には甲子園初出場を果たし、当時の埼玉県内では強豪に位置づけられていた。

 川口市は「鋳物(いもの)の町」と呼ばれ、かつては「キューポラ」という溶解炉がにょきにょきと突き出ていた。川口市のゆるキャラ「きゅぽらん」はキューポラをモチーフにしている。鋳物職人も多い土地柄で、手に職をつけたい若者にとって川口工業は魅力的な学校だった。学校には優秀な人材が集まり、家業を継ぐ者や一流企業へと就職する者たちを輩出していった。

 だが、その人気も時代の変化とともに徐々に低迷していく。いわゆる「やんちゃ」と言われるような生徒が多くなっていった。

 1970年代後半から1980年代にかけて、全国的に「校内暴力」が社会問題化した。川口工業も国府田さんいわく「一般生が町を歩けば、道を開けられる」という学校になっていた。

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