何から何まで狂ってしまった大学時代。島袋洋奨はホークス戦力外を経て母校へ (5ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Matsunaga Takarin

「沖縄で生まれ育った人間にとっては、やはり沖縄は特別な地です。大学から本土へ行かせてもらい、そこで学んだことを沖縄に持ち帰って何かの役に立ちたいと考えた時に、母校である興南高校が自分にとって最大限の力が発揮できる場所だと思いました。

 我喜屋先生から教わった『野球を通して人生をいかに生きるか』という意味をしっかり考え、行動に移す。高校、大学、プロといいことも悪いことも経験したなかで、子どもたちに何か人生の指針となるものを与えていければと思います。沖縄に恩返ししたいという思いはありますが、今は一歩ずつ着実に地固めをしていく時期だと思っています」

 島袋の肩書きは入試広報部の事務職員であり、現在、教員免許取得を目指している。口にこそ出さないが、学生野球資格回復を視野に入れ、ゆくゆくは興南高校野球部の指導者を目指しているのは、誰の目から見ても明白だ。

 昨年末に一児の父となった島袋の視線の先には、はっきりと見えているものがある。そこにたどり着くまでは、少しの気の緩みも許されない。自らを律し、邁進していく島袋に死角はない。あとは、時が早く経てと願うばかりだ。

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