2020.07.30

何から何まで狂ってしまった大学時代。
島袋洋奨はホークス戦力外を経て母校へ

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Matsunaga Takarin

 なぜ島袋はプロで大成しなかったのか。巷でよく言われるのが、大学時代の酷使によって壊れてしまったと......。それに対し、島袋の答えはこうだ。

「大学2年の春までは調子がよかったんです。春のリーグ戦で開幕から2連勝し、調子がよかったので次の日大戦も投げました。でも、ここでヒジがぶっ飛びました」

 島袋が大学2年となった2012年春のリーグ戦。2年連続開幕投手に選ばれた島袋は、開幕カードの東洋大戦で強烈なインパクトを残した。1回戦で延長15回をひとりで投げ抜き、チームは3対2でサヨナラ勝利。島袋は226球を投げ、21個の三振を奪った。

「センバツ決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありましたけど、200球を超えたのは初めてでした」

 その2日後、島袋は中1日で東洋大との3回戦に先発し、7回(92球)1失点の好投で勝利し、チームは勝ち点1をゲットした。

 さらに翌週、中6日で日大との1回戦に先発し、8回122球を投げて4失点ながらも勝利し、開幕から3連勝。だがこの時、島袋の左ヒジは悲鳴をあげた。左ヒジ内側側副じん帯に血腫ができ、すぐにドクターストップがかかった。ヒジが回復するまで、約5カ月のノースロー調整を強いられた。

「東洋大戦の226球と、それから中1日で先発したことで全盛期の投球ができなくなったと周りから言われますが、開幕カードの時は肩・ヒジは大丈夫だったんです。次のカード(日大戦)で休める勇気があれば変わっていたのかなと......」

 島袋は1週間で3試合に登板し、30イニングで441球を投げた。これは現代野球ではありえない数字だ。調子がよかったことと、エースの重責を果たさなければという使命感が招いたケガだった。当時の監督の無茶な起用により、島袋は壊れたという声が多い。興南連覇のメンバーである大湾圭人は言う。

「今まで大きなケガをしたことがない(島袋)洋奨にとって、長期離脱は野球人生初めてで、これによってフォームをはじめ、何から何まで狂ってしまったんじゃないかと思っています」