打ち砕かれた「親子で甲子園」の夢。山村宏樹は息子の成長に救われた (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Taguchi Genki

「どんな形でも大会は絶対にあるから。ここから、みんなで頑張っていこう!」

 チーム全員が前向きになってくれていることが、貫太にとって何よりの救いだった。だからといって、甲子園が断たれた事実は覆らない。"山村宏樹の息子"という看板を背負わされながらも、「父と甲子園に行く」という目標を励みにやってきた。なのに、父と甲子園に行く夢はもう叶わない。

「悔しくなかったのか?」。そう尋ねると、少しの沈黙のあと「そうですねぇ......」とつぶやき、こう答えた。

「悔しくないと言ったら嘘になるんですけど、暗くなっても仕方ないと思っていたので。『自分の役割をまっとうしよう』って、どこかで割り切っていた部分はありました。父はもちろんですけど、チームのみんなも僕の立場をわかったうえで支えてくれたので、苦しくはなかったです」

 貫太の思いに触れ、ふと感じたことがあった。父がプロ野球選手で、さらに選手と指導者という特殊な環境に身を置くことで、物事を冷静に、俯瞰して見るようになったのではないかと。

「いやぁー」とやんわり否定し、次いで出た言葉が、甲府工の信念と前田監督の訓示だった。

「やっぱり、工業にきて育ててもらったことが一番じゃないですかね。人間性を重んじる姿勢っていうのは、自分でも大切にしているので」

 息子の克己する姿に頼もしさを抱く一方で、宏樹の胸は張り裂けそうだった。自粛期間中、息子の愚痴や不満を一度たりとも聞いたことはなかった。強いて言えば「いつになったら、グラウンドで野球ができるんだろうね」といった、ちょっとした不安だけだ。

 心のモヤモヤを吐き出すように、宏樹が揺れ動いた感情を言葉にする。

「息子にとって大きな、大きな目標だったんです。僕にとっても大きな、大きな夢でした。甲子園を目指してみんなも練習して、僕も指導してきて。それがなくなってしまったわけですから、本当に残念でした」

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