甲子園中止で語り継がれる「悲劇の世代」。世代屈指の好投手が進路の悩みを激白 (3ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 ひとつは、左足を上げる際に捕手から目線をいったん切り、三塁方向に向けていたのをやめたこと。右足一本でまっすぐ立つという意識からやっていたことだったが、それをやらなくてもできるようになったからだ。この時、猫背になりがちなのも課題だったが、私生活から背筋を伸ばすように意識したこともプラスになった。

「母からも姿勢のことを言われて、意識するようになりました。とくに座っている時、姿勢のことをよく言われます」

 姿勢がよくなるとともに、投球時に突っ込む悪癖がなくなった。今も姿勢がよくなるチューブを背中に巻き、正しい姿勢を維持するための意識づけをしている。

 もうひとつは、ワインドアップをやめ、ノーワインドアップで投げるようになった。

「(ワインドアップだと)リズムが少し取りづらくなってきて......投げる前からグラブをはめている側の手に力が入りすぎるのが課題だったんですけど、ノーワインドアップにしたら感覚がよくなりました」

 右足一本で立つのは明治大時代の森下暢仁(現・広島)を、リラックスしたグラブのイメージはオリックスの山岡泰輔を参考にして取り組んだ。

「一度に全部を変えるのではなく、部分的に分けて練習しました。スマホで動画を撮りながら、その日その日でどういう変化があったのかを見ながらやりました」

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