残酷でも切ない現実。センバツ交流戦出場の山梨学院監督が下した決断 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

 ひとりひとり、メンバーの名前を読み上げたあと、吉田監督はこう語りかけた。

「センバツの出場権を持っていたけど、中止になってしまった。練習試合もほとんどやらないまま、3年生の送別試合のメンバーを発表しないといけない時期になった。送別試合に出る人は、正直に言って、これでひと区切り。先輩たちも、送別試合で区切りをつけて、ほかの選手の練習の手伝いをしたり、進路に向けて勉強をしたりしてきたからな。今日、名前を呼んだ19人は、6月下旬の『ラストゲーム』で自分が『やり遂げた』と思って、高校野球生活に区切りがつけられるように頑張ってほしい」

 選手たちは感情を表に出すことなく、監督を見つめている。

「8月に行なわれる甲子園交流試合は、センバツの救済措置だから、センバツ時のメンバーで出る高校もあるかもしれない。3年生だけでチームを組むところもあるだろう。でも、俺は、そうしない。3年生が30人いるなかから20人の登録メンバーを選ぶことはできないから。夏の大会だと思ってメンバーを組む」

 山梨の代替大会・甲子園交流試合のメンバーと『ラストゲーム』に出る選手が、ふたつに分かれた。残酷だが、これが現実だ。

「これまで全員で頑張ったということは、何があっても変わらない事実。この学年は生涯付き合える仲間であってほしい。送別試合に出ない選手はしっかり応援してほしい。甲子園交流試合のメンバーは、甲子園で試合ができることに感謝してほしい」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る