腹切り発言の開星・野々村監督が復帰。切実だった事情と新指導への思い (2ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

「全国制覇をするチームに対して、教え子たちが臆することなく、がっぷり四つの戦いをしてくれた。最後に甲子園で私を漢にしてくれたことが本当に嬉しくてね。これ以上ない最高の終わり方、"有終の美"を飾らせてもらったと感謝しています」

 甲子園直後の秋季大会も指揮を執り、初戦で自身の母校である大東と対戦。初戦敗退に終わったが、ここにも後悔はない。

「その当時、母校を率いていたのが、県内の指導者のなかでも『こいつは根性があるし、指導力がある』と感じていた若手監督。勝たせてやれなかった選手たちには申し訳なかったけど、『こいつに負けるのなら仕方ない』と思える相手だった。最後が母校という巡り合わせも含めて、高校野球に一片の悔いもありませんでした」

 立ち上げから部に携わり、島根県内はもとより、全国でも名の通った強豪へとチームを育て上げた。たしかな達成感も噛みしめながら、ユニフォームを脱いだ。

 教員を定年退職、監督勇退後は松江市内に『似顔絵&ギャラリー・ののむら』を開設。勇退後の8年間の肩書きは"教育評論家兼画家"。高校野球ファンや観光客向けの似顔絵制作、地元の風景画などの創作活動に勤しみ、時にはテレビや雑誌で自身の経験を基にした教育論を発信した。勇退後の生活は「格別だった」と語る。

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