「岡本和真に負けた」。そして元U 18日本代表の野球エリートは起業を目指した (4ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Sawai Fumi

 当時の大阪学院大は、リーグ戦で5位前後を行ったり来たりするチームだったが、その秋のリーグ戦では3位。続けてキャプテンを務めた4年春のリーグ戦でも3位と健闘した。

 チームが浮上したのは、安田の"組織改革"も一役買っていた。

「主将として技術的な何かをしたわけではないんです......いちばん感じていたのは、100人を超える部員をひとりで見るのは大変だということです。会社にはそれぞれ部署があって、それぞれ役割がある。同じように、ひとりですべてを見るのではなく、たとえば、教えるのがうまい選手がいれば後輩の指導を任せたり、時間に厳しい選手がいれば彼にスケジュール管理を任せたり......最終的にそうした選手を自分が束ねていけばチームが変わるんじゃないかと思ったんです」

 野球部の中に会社のような組織をつくることで、それぞれがいま何をすべきかを真剣に考えるようになった。安田はキャプテンという名の"ゼネラル・マネージャー(GM)"のような役目で全体を見渡していた。すると、これまでただ漠然と野球をしていた選手も責任を与えられたことで、チームのことを考えるようになった。その結果、それまで負ける時はあっさりしていたが、接戦が増えた。その頃から「経営者としてのやり方が、少しずつわかるようになってきた」と安田は言う。

 4年生になっても、安田は就職活動をしなかった。ある別の活動に徹していたからだ。

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