2020.05.12

智辯和歌山・高嶋元監督の壮絶秘話。
「くそったれ!」精神で築いた甲子園68勝

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 ここで待っていたのが智辯学園理事長・藤田照清との出会いだった。高嶋の野球人生にもっとも影響を与えた人物だ。ほぼ一代で智辯学園、智辯和歌山を育て上げた男は、「まあ、強烈な人やった」(高嶋)。藤田の長男で、現在、智辯学園理事長を務める藤田清司から聞いた父の人物評はこうだ。

「とにかく結果を一番に求める人。私も子どもの頃から『一番になれ、負けるな!』としか言われなかった。学校経営も、やるからには勉強も一番、野球も一番を目指せと、そういう人でした」

 高嶋が藤田から"圧"を受けるのは監督になってから。赴任3年目の春、その時は唐突に訪れた。

 当時、和泉が監督、高嶋が部長だったが、ある練習試合で負けたあと、観戦していた藤田がミーティングで思うことを言うと、和泉がカチンとなり「やっとれるか!」と、ノックバットを叩きつけてグラウンドを出ていった。そうなると、あとを見る者がほかにおらず、高嶋監督が誕生したというわけだ。

 ここからが大変だった。高嶋が「奈良(智辯学園)での10年間は、ほんまにボロカスやった」と振り返る藤田との闘いの日々が始まった。

「なんであんなチームに負けるんや! おまえは学校を潰す気か!」

 この頃、野球部員たちは直立不動で藤田から叱責される高嶋の姿をたびたび目にしている。

「なんで、野球で負けて『学校を潰す気か』って言われんとあかんのや。めちゃくちゃやなと思いながらも『勝ったらええんやろ!』と思うしかなかった」