磐城高OBが思い出す2011年夏の高校野球福島県大会「ハードルは高かった」 (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

 見えない敵である放射性物質との戦いが注目される一方で、明るい話題もスポットライトが浴びた。本来ならば、学校の統廃合によってのみ結成が許される連合チームを実現させたのである。

 避難指示区域にあった双葉翔陽、富岡、相馬農の3校による「相双連合」は、理事長の宗像が日本高野連に出向いて嘆願し、承認を受けた特例チームでもあったのだ。

 当時の福島県高校野球のリーダーはさまざまな情景を鮮明に描写できる。すべてがいい思い出ではない。ただ「これだけは言える」と、宗像は笑みを浮かべた。

「夏の大会を実現させる過程で、批判はたくさんあったし、我々だって心配事は尽きませんでした。けど、本当によく大会を実現できたなって思う」


 今回の新型コロナウイルスは、先が見えないという点で2011年と近い部分はある。ただ2011年は甲子園で試合を開催することができた。

 現在も各地で春季大会の中止が相次ぐなど、いまだ収束のめどは立っていない。それでも、かつて最前線で震災と原発事故後の修羅場をくぐり抜けてきた宗像は、夏への期待を膨らませる。

「なんとか夏の甲子園は通常開催できるように(新型コロナウイルスの感染拡大が収束)してもらいたい。僕は大会役員の仕事に余裕があると、アルプススタンドに行くんです。そこからの応援がよくてね。超満員のスタンドでその光景を見るたびに『ここに来られてよかった』って思うんです。そんなすばらしい場所で、高校生たちに思う存分プレーしてもらいたいじゃないですか」

 幻の21世紀枠となった母校・磐城高の選手たちに、甲子園の土を踏ませてあげたい気持ちはもちろんある。だがそれ以上に、全国の高校球児がいつものように甲子園を目指し、憧れの地でプレーできることを宗像は切に願う。

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