46年ぶりセンバツ出場が幻に。磐城高伝説の甲子園準優勝メンバーの胸中 (6ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Taguchi Genki

 福島県民にとって、1971年夏の磐城の激闘は、今も伝説として語り継がれている。「準優勝メンバー」。それだけで、県内では箔が付く。なかには、その金看板に翻弄された人間もいたが、宗像は自分たちが築き上げた実績に「助けられた」と言う。

「だって、指導者になってから『準優勝のメンバー』ってことで、いい選手が来てくれたりね。そういうところもありましたから」

 指導者としての宗像は、1988年に福島北を初の甲子園となるセンバツへと導き、1勝を挙げている。自身が言うように、選手に恵まれたことも要因なのだろう。だがそれ以上に、宗像が「準優勝」と真正面から向き合ったからこそ、得られた成果でもあった。

 だがその後、福島県の高野連理事長となった宗像を、今度は東日本大震災が襲った。

(つづく)

6 / 6

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る