46年ぶりセンバツ出場が幻に。
磐城高伝説の甲子園準優勝メンバーの胸中

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Taguchi Genki

 記憶が残る小学生時代、常磐炭鉱の職員たちは羽振りがよかった。少年だった宗像も、「大人になったら炭鉱に勤めたいな」と思ったほどである。

 それが、石油、そして原子力など石炭以外のエネルギー産業が盛んになるにつれ、炭鉱は衰退。いわき市近隣の双葉郡に誘致されていた、福島第一原子力発電所の1号機が1971年3月に営業運転を開始したこともあり、石炭は事実上、その役割を終えた。県内随一の進学校である磐城の生徒たちも、「いい大学に入って東京電力に入社し、原発で働きたい」と目標を抱くようになっていた。

 宗像は高校生ながらに、町の活気が失われていく様子をリアルに感じたという。

「いわきは『炭鉱の町』だったから、町全体が暗かったです。閉山の話題ばっかりでね。石炭がダメになって、常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)を作って町を盛り上げようと頑張ったりしていたけど、やっぱりあの時期は炭鉱閉山のダメージは大きかったと思います。野球部のなかにも、炭鉱で働いていた親が職を失って職業訓練校に行ったり......。『いわきは大変なことになっているんだな』と感じたものです」

 他人事に近い感情を抱いていた少年たちが、まさか市民の希望の光になるなど、宗像をはじめとする磐城メンバーの誰も思ってもみなかった。

 この年の夏、甲子園出場を決めた磐城は、福島県の高校野球史に残る快進撃を続けた。

 初戦(2回戦)で「優勝候補の大本命」と目されていた日大一を1−0で撃破。殊勲者は相手を完封したエースの田村隆寿、そして決勝打を放った宗像だった。

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