46年ぶりセンバツ出場が幻に。磐城高伝説の甲子園準優勝メンバーの胸中 (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Taguchi Genki

 磐城は1995年の夏に出場しているため、甲子園自体は25年ぶりの出場となる。役員として甲子園を知る宗像は、職務と私情のバランスをコントロールしながら、最大限サポートしていこうと、心躍らせながらシミュレーションをしていたのだという。

「監督や選手からすれば初出場ですから。かなり緊張するだろうし、大会役員の担当として、できる限りのアドバイスをしながら『試合までにリラックスさせていあげたいな』とかね。考えるだけで楽しみでしたよ」

 磐城のセンバツ出場が決まった頃、中国・武漢で新型コロナウイルスの感染が急速に拡大し、日本も警戒態勢を敷き始めていた。1カ月が経ち、国内でも感染者が増加の一途をたどっていたとしても、大会開催の方針は変わらなかったと、宗像は言う。

「高野連と連絡を取り合うなかで、『毎日の検温のために体温計を用意してください。あと、マスクはこちらでも確保が困難なので、各自で用意してください』と指示があって。高野連は本気で大会をやろうとしているんだって心強かった。情勢が悪化しても、何かしらの形で開催されるんだと思っていたんですが......」

 3月4日に、高野連が無観客開催で準備を進めると方針を打ち出しても、宗像は「やらないよりはいい」と受け入れた。だが1週間後の3月11日、ウイルスの収束が見込めず、大会運営委員会はセンバツの中止を決めた。

 この知らせを、宗像はテレビのニュース速報のテロップで確認した。まもなくして高野連から正式に中止の電話があり、磐城OBなど多くの知人からも連絡が入った。

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